ものが全く見られない。
昔、江戸の言葉に、剣術をヤットオと云い、剣術使いをヤットオ使いと云ったものだが、馬庭念流のカケ声は今でも昔のままヤットオである。
二十四代剣の伝統をつたえる樋口家には昔のままの道場も現存し、門が道場になってる。その建物だけはさすが道場らしい威風があるが、門内の居宅は小さなタダの百姓屋。どこにも威風のない当り前の小さな百姓屋である。それが実に好ましい。
いかに里にとじこもるとはいえ、二十四代もうちつづく伝統の家なら自然豪族風や教祖風になりそうなものだが、そういう風がミジンもなくて、しかも今日も尚伝統をつたえているところがすばらしい。それが馬庭念流です、と質素な百姓屋が先祖代々の正しい誇りを語っているように見える。
道場びらきにいろいろな型の披露があったが、古来からの「無構え」のすばらしさにくらべて、江戸の中期以降に附け加えたという矢留めや竹割りはどうかと思った。
紙にぶらさげた青竹をわる。これは石を拳骨でわるのと共に、田舎の祭礼や縁日なぞに唐手使いと称する香具師《やし》がやって見せる芸である。むろんその香具師は薬を売るための客寄せにやって見せるだけで、本
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