当の唐手使いではない。
 私は唐手の広西五段(唐手では現在五段が最高位である)に、この香具師の竹割りを訊いたことがある。彼は答えた。
「あれは紙にぶらさげてるから竹が割れるのです。一週間も練習すると、誰にでもできるのですよ。紙の代りにハリガネのような強いものにぶらさげると、その抵抗が竹に加わるので、竹ははね返るばかりで、どんな名人がやっても折れません。ちょッとした物理の応用で、紙にぶらさげてるから折れるのです」
 拳骨で石を割る方をきいたら、
「あれは割れる石を見つけだすのが技術なんです。割れる石を見わける術を知りさえすれば、割るのに技術はいりません」
 こういうわけで、拳骨でも石は簡単にわれるのだから、江戸中期に木刀で石を割ったという念流の話も自慢にはならないのである。
 竹割りも縁日商人が客寄せにやってることで、武道の奥儀と関係のないものだ。思うに、江戸中期に唐手まがいの子供ダマシの寄席芸をとりいれて座興に加えたのであろうが、こういうものと念流本来の剣法とを混同するのは大マチガイである。
 矢留めも泰平の遊びである。あの矢は尖端のタマにつかえて強くひきしぼれないから、矢の速力はちょ
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