た。頭を畳にすりつけた。やゝ、長い時間。さうして、立上ると、一言もあとに残さず、又、目もくれず、立去つたのである。
父の跫音《あしおと》が消えてしまふと、波子は、突然、めまひがした。あらゆる力が、ぬけて行く。あらゆる思考が、ぬけて行く。さうして、小さな悲しさが、胸の底に、ひとつ、残つた。
波子は、孤独をだきしめて、長いこと、坐りつゞけた。さうして、父に答へる言葉が、だん/\ハッキリ分つてきた。御先祖御一同様に誓つて、どうしても遠山青年と結婚しない、と心に堅くきめたのだ。
波子は仏壇につゝましく、合掌し、燈明をあげ、鉦《かね》をならした。
「ワタクシはキンゲン居士と結婚しなければなりませんか。ワタクシはキンゲン居士がキラヒです。ですから、ワタクシは、キンゲン居士と結婚イタシマセン」
ねむたくなるやうな、ものうさであつた。波子は、すゝり泣いてゐた。
七
遠山青年の家へ遊びに行つてくるやうに、と吩付《いいつ》かつた日は、映画見物に行つてしまつた。遠山青年が遊びにくるといふ朝は、普段着のまゝ、女中の下駄をつゝかけて、裏口からでゝ、隅田川へ、ボート競走を見物に行つた。
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