友達と映画を見たり、劇場へでかけたり、好きなものを食べに行つたりして、それで充分に愉しかつたから、よその家族が一家そろつてピクニックだの芝居だのと出掛けて行くのを見聞しても、まつたく羨しいと思ふことがなかつた。けれども、それは、それで、愉しい筈だといふことも、決して疑つてはゐなかつた。
それは波子が女学校を卒業した翌年の春であつたが、さうして、今から思へば、それが丁度伝蔵の風流三昧の最後の訣別になつたけれども、突然、一家三人で、関西へ食道楽の旅にでた。
汽車の窓を早春の畑が走り、青々とした海原もひらけ、さうして、風が吹いてゐた。波子はそれを眺めて、綺麗な景色には、いつも、綺麗だと思ひながら、然し、この旅行のあひだ、一番はつきり眺めつゞけてきたものは、たゞ、蕭々《しょうしょう》と吹く風であつた。それは車窓を吹くばかりでなく、目をとぢれば、目と目のあひだ、又、物思ひと物思ひのあひだ、愁ひと愁ひのあひだをわけて、涯もなく、たゞ、吹いてゐる。西からきた風でもなく、南からきた風でもなかつた。たゞ、風。
父と母、さうして、生れた家。――それは、波子にとつて、別々のものではなかつた。いつも、三
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