、三十五六、もつと若く見えるほどで、ぬけるほど色が白く、端麗きはまる輪郭である。受け唇が、童女のやうに、あどけなかつた。癪にさはるほど、綺麗だと思つた。
この家庭へ出入の人々も、波子を綺麗だと言ふよりも、葉子の美しさに驚く人が多かつた。端麗な眼鼻にどことなくあどけない幼さが残り、清らかな色情を漂はしてゐる。支那陶器の鑑定家といふ男など、酒に酔ふと、私は奥様の美を尊敬致します、などゝ口癖のやうに言つて、東洋一の美貌である、などゝ断定した。
波子は母に腹が立つと、きつと、母の美しさが、まづ、まつさきに、意識させられて、いやだつた。いま/\しく、さうして、たしかに、嫉ましかつた。
父と争つて、黙つてしまふ時の母も、やつぱり、特に美しい母であつた。特に美しい母を見ると、波子は必ず嫉ましくなる。父と争つて、負けてしまつて、黙つてしまふ母であつても、特に美しい母であるとき、波子はきつと嫉ましかつた。さうして、母が気の毒だとは思はずに、死花を咲かせたいといふ父の方が、いぢらしく、可哀さうになるのであつた。
死花といふ言葉についてだけ言へば、これはたゞ、ばか/\しいばかりであつた。芝居もどきで、わづか四五人の家族相手に、せいぜい百人ぐらゐの知人を相手に、身につかぬ演技をして、贋の一生をすりへらした父。今となつても、まだ、死花などゝ言ひだして、うけに入つてゐる。ばか/\しいのである、けれども、ふとつた膝の上にのつかつてゐる小さな握り拳などを見て、ふと、父がいとしくなるとき、平凡で、小胆で、気の弱い父、とても可哀さうになつてきて、ひと思ひに、死花を咲かせてやりたいと思ふことが、時々あつた。
思ひきつて、大きなことをやりなさい、家も、財産も、名誉も賭けて、みんな粉微塵にしてしまひなさい。ひと思ひに……時々、波子は、そんな風に叫びたくなつた。
四
あるとき、食事の最中に、やつぱり死花のことで言ひ争つて「もう、孫のできる齢ぢやありませんか。年甲斐もない」母が叫んだ。父も母も、それきり黙つてしまつて、重たい食事を運んでゐる。
波子だけは平然として、二人の顔をチラチラ見ながら、然し、母に腹を立てゝゐた。
孫ができる――孫なんか、できるものか。誰が、遠山なんて、朴念仁と結婚してやるものか。
その日、食事を終へて、外出する父に着代へさせたのは、波子であつた。波子は、着代へさせながら、父に言つた。
「死花つて、何をするつもり」
「…………」
父はふりむいて波子を見たが、そこに「女」の笑顔を見ると、狼狽した。伝蔵の眼は、怖しく、光つた。
「いゝのよ。教へてくれなくとも」波子は甘えた。「だけど、パパ。思ひきつて、やつちやつて……」
波子は、自分では気付かずに、眼が、ギラギラ光つた。
「私のことなら、かまはないわ。文なしになつたつて、私は、平気よ」
「馬鹿」
父は、喋れた声で、波子の方を向かずに、叱つた。さうして、ひどく不機嫌になつて、出がけに、母に当りちらして、行つてしまつた。
伝蔵が腹を立てたのは、ひとつには、自信がなかつたせゐでもあつた。子供の時から、小心で、これといふ大きなことには、どうしても決断のつかない性分だつた。人並以上のことを時々やりかけて、いつも、自信がなかつたのである。
長男を北アルプスで失つて、心気一転、風流三昧の生活をはじめたのも、積り積つた失敗と悔恨の数々が、もはや、堪へがたい時だつたのだ。息子の遭難が、丁度いゝキッカケとなり、彼を救つてくれたのだ。なんとかして、足を洗はなければならない時であつたのだ。お前のおかげで、助かつた――後日、伝蔵は、息子の霊に、かう呟いたほどである。
さうして、風流生活が始つた。
それから七年、彼としては、よくつゞいた方である。性来の浮気性で、脂ぎつた、賑やかなことにふつゝり訣別できる伝蔵ではなかつた。再びヤマ気が頭をもたげる。死花を一花咲かせて、といふわけであるが、かう宣言して、そのことで毎日葉子と争ひながら、然し、性来の小心で、一番不安で、前進の勇気がないのは、実は、誰よりも、本人自身であつた。やらないうちから、すでに、自責と悔恨が、ちらついてゐた。
風流三昧が、何より性に合つてゐたのだ……すでに、伝蔵は、泌々《しみじみ》とかう考へることがあつた。
娘が、美しい小蛇のやうな「女」であらうとは。伝蔵は胸に針の痛さを感じた。驚くほどの色情を見たのであつた。
思ひきつて、やつちやつて……と言ふ。私のことなら……伝蔵は、眼をとぢて、救ひを神にもとめたかつた。息つまるからだをうねらせて、燃える言葉を吐いてゐる。ギラ/\光る眼であつた。
脆いほど、鋭く、かたい。いつ、崩れ、いつ、とびちるか、分らない。崩れゝば、地獄へおちる。伝蔵は、思はず、眼をとぢずにはゐられなかつ
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