るというワケではないし、名人がそうザラにいるとは考えられないのである。
要するに、いつの時代のタクミにも名がなかったように、ナマ身のタクミに会うことなぞは考えずに、その名作のみを味うのがヒダのタクミの本質にそうことであろう。私はこう考えて、タクミに会う考えはやめにした。ただ、タクミの技術のことではなしに、ヒダの顔ということで、そういう顔の存在を今も知っているか、残っているか、どこにあるか、そんな心当りをきいてみたいと思った。一位彫り(ヒダの彫り物細工)のダルマの顔まで、いわゆるダルマの顔ではなくて、ヒダの顔なのである。ちょッと時代の古い物はみなそうだ。そういうヒダの顔について、彼らはそれを伝統的に無意識にやっているのか、モデルがあってのことか。そういう顔ばかりの聚落があれば面白かろうと考えたりしたが、それはあまりにもヒマの隠居好みのセンサクらしくもあるから、やめにしてしまったのである。
私がヒダの顔をしたダルマを買った店の娘は、きき苦しいほど他の店の悪口を云うのであった。私が買い物をした他の店をヒダの名折れであるとか、その店のためにヒダの塗り物全体が汚名を蒙ってしまうというような聞
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