く口があきすぎると? だから云ってるじゃないか。どうも息ギレがしていけねえや。
 しかし、チョイと凄んでみせたね。そういう仁王様であります。この名作は全然他国の人には知られずに、小部分のヒダの人に愛されているらしい。この山門の前は子供の遊び場であった。
 私はこの仁王を見て、つくづく思った。
「なるほど。そうか。ヒダの顔というものが、たしか、どこかで見かけた顔だと思っていたが、仁王様の顔も、ヒダの顔じゃないか」
 まさしく、そうである。仁王様がヒダの顔なのだ。仏師の誰かがこの世に在りもしないあんな怖しい顔をこしらえたわけではなくて、ヒダのタクミが見なれている仲間の顔にちょッと凄味を加えると、たちまちこの顔なのだ。それが、いつか、日本中の仁王の顔の型になったのであろう。
 ヒダの高山やその近在で、歩いている仁王サマを時々見かけた。大雄寺の仁王サマと同じように息ギレがするのか、大口あいて、大目玉をギョロつかせて、縁台に休息していた年寄の仁王サマを見たこともある。そこは本町通りであった。また、菅笠をかぶって、ナタ豆ギセルを握りしめて野良から上ってくる仁王サマを見たこともあった。
 そう云えば
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