とうているけれども、これもタクミの自像らしく、さもなければ、この寺の何代前かの住職の像かな。
 足利時代の作と伝えられているが、一方はタクミ自像とある通り、この顔がタクミの顔、ヒダの顔であるのは云うまでもない。やっぱりコブコブが寄り集って作っているのである。
 大雄寺の山門の仁王様は、私が見た限りに於ては、日本一の仁王様である。
 身の丈、三尺五寸ぐらい。だいたいチッポケな山門なのだ。寺に至ってはさらに貧相なつまらない寺だ。それにしても、とにかく山門をつくったから、お前ひとつ、仁王様をつくらんか、という次第で、山門なみにチッポケな仁王でタクサンだぜと念を押されて出来上ッたようなノンキな仁王様なのである。
 一方は出来そこないの横綱が威張り返って土俵入りをしているような仁王様だ。ダブダブした腹の肉がたるんでダラシがないこと夥しいが、大いに胸をそらして両の手をぐいと引いて、威張りかえッて力んでいる。
 一方の仁王様は、ちょッと凄んだ顔をしてみせたのはいいが、どうも年のせいか、息ギレがしていけねえ。しかし、どうだ、こうやって、こう、にらむ。年はとっても、このオレの凄味を見ねえ。ナニ、だらしな
前へ 次へ
全32ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング