いうことが考えられなかったのだろう。
作者の名が考えられないということは、芸術を生む母胎としてはこの上もない清浄な母胎でしょう。彼らは自分の仕事に不満か満足のいずれかを味いつつ作り捨てていった。その出来栄えに自ら満足することが生きがいであった。こういう境地から名工が生れ育った場合、その作品は「一ツのチリすらもとどめない」ものになるでしょう。ヒダには現にそういう作品があるのです。そして作者に名がない如く、その作品の存在すらも殆ど知られておりません。作者の名が必要でない如く、その作品が世に知られて、国宝になる、というような考えを起す気風がヒダにはなかった。名匠たちはわが村や町の必要に応じて寺を作ったり仏像を作ったり細工物を彫ったりして必要をみたしてきた。必要に応じて作られたものが、今も昔ながらにその必要の役を果しているだけのことで、それがその必要以上の世間的な折紙をもとめるような考えが、作者同様に土地の人の気風にもなかったのである。
だからヒダには今も各時代の名匠たちの名作が残っているということは、古美術の専門家すらも知らないのです。むろん私も知らなかった。だから私がヒダの旅にでたのは
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