確信することができなかったのは事実だ。私個人は常に習慣と闘ってきた、と彼は述懐しているが、彼の個人主義的な懐疑思想というものは畢竟するに、彼の歴史観が、制度は人間そのものを革めはしないと信じていたことに起因すると見るのは不当でない。このことは一人ジイドに限られたことがらではないだろう。習慣と闘った偉大な作家は全て、その教養によってか本能によって、制度は人間を革めないと思いこんでいたのであろう。
そこで、「文学は革命の準備はしたが、革命は文学に影響を与えない」というジイドの見解は、ソヴエート聯邦の出現によって「革命も文学に(人間そのものに)変革を与える」というように訂正されたわけになる。併しながら「文学は革命の準備をする」という彼の考えは勿論変ろう筈はない。「ブルジョワ的習慣があるように、共産主義的習慣もありうるのだ」と彼は言う、そうして、「文学は制度に奉公しなくともいい。隷属した文学は、党《くみ》するところの主義目的がどれほど貴く、また正しくあっても、堕落した文学である。芸術は真実に没頭するときほど革命に役立つことは決してないのだ」と述べている。
このことは制度の人間に与える影響を
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