人が人見である場合には、それが唯一の物的証拠であった。一同は血眼で探した。しかし、どこにも見当らない。その最中に、花井と平戸先生が喚ばれてきた。昨夜の対決の様子を念のため証言してもらうためであった。
 トランプの紛失ときいて、平戸先生はふと何事か気がついた様子であった。
「ハートのクインでしたかしら?」
 誰にともなくふと訊いた。警部はそれを聞きもらさなかった。
「そうです。ハートのクインです。何かお心当りがあるようですね」
「いえ、つまらないことなんです」
 平戸先生はあからんで弁解した。
「子供の詩を思いだしたのです。仁吉という子の六年の時の詩だったと思いますが、校友雑誌にのった詩があるのです。その題がたしかハートのクイン」
「覚えてらッしゃいましたら、おきかせ下さい」
「覚えてはおりませんが、雑誌は家にありますから、お見せしましょうか」
 そこで平戸先生は雑誌をとってきてその詩を示した。まさしく題はハートのクインであった。

[#ここから2字下げ]
オレの魂のハートのクインよ
オレをねむらせてくれよ

きのうは泥棒
きょうは乞食よ
人にも犬にも憎まれ者

昨日も今日も腹がすき
山がだんだん暗くなり
鳥がネグラへ帰るとき
オレがお前のところへ帰る

夜の空に星あれば
星が食べたくなるよ
ねむりたやねむりたや
[#ここで字下げ終わり]

 警部は考えこんだ。
「オレの魂のハートのクインかね。シャレた文句だが、まさかその魂がトランプではあるまいな。しかし、とにかく、これは一ツの発見だ。たしか仁吉が来ていたようだが、ちょッと連れてきてくれないか」
 しかし、さっきまで見かけた仁吉の姿は、もうなかった。
「まさか仁吉が魂のハートのクインをさらッて行ったのじゃあるまいが、とにかく、妙な暗合だ」
 むしろ警部はひょッとすると毛里がトランプを盗んだのではないかと思った。そのトランプと人見を結びつけたのは彼の手柄だ。しかしそれが充分に報われないために、イヤガラセをしたのではないかと疑った。
 ともかく唯一の物的証拠ともいうべき重要物件の紛失だから、放ッてはおけない。仁吉の後も追った。そして仁吉を発見した。ところが仁吉のフトコロからハートのクインがポロッと地へ落ちたのである。

          ★

 以下は警部と仁吉の問答である。
「なぜ盗んだのか」
「これはオレのだ」

前へ 次へ
全14ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング