るんじゃなかったなア。すこし分散しましょうか」
「カバン持ちの義務だから、ダメよ」
一夫は歯をくいしばって一キロの難路を歩かなければならなかった。ロマンチック用の食糧を山とつみこんだリュックだから、大変な重さなのだ。
「この道は熊や鹿の歩く道ですよ。温泉客の通る道じゃないね。この道幅の細さから考えたって、黒滝温泉てところには、ここ二三年お客が一人も来たことがないんじゃないかと思われますよ」
まったく、そう推論してもよいような難路であり、小径であった。
谷底に滝がいくつもあった。そして、そこに一軒の旅館があった。一列にしか歩けない吊橋を渡るとその旅館である。
「オ! 電燈がついてる! 自家発電だ」
「ア! 一組のお客がいるわ!」
二階の窓から、オバアサンと二十前後の娘と小学生の少年が手をふって迎えている。一夫は眼をかがやかして、
「なかなか美人の娘じゃないですか。ヒナには稀な」
「近くで見ると、どうかしら」
「遠望に限るのかな。油絵だね」
今までまったく見なれない異様な人相の老人が黙って出迎えた。オデコが広く、鼻とアゴが細く尖っている。そして顔は赤銅色で、鳥類、もしくは天狗、そ
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