て並んでいるのである。彼がその前を通りすぎようとすると、
「デブチャーン。コンニチハ――」
わざと声を細めて先ず呼びかけたのは姉の方である。すると弟がそれにつづいて、
「百貫デーブ、大きいな」
梅玉堂は小心だから、子供にからかわれても羞しくて赤くなるのである。首スジまで赤くなるタチであった。少年は目ざとくそれを見つけて、
「ワーイ。赤くなッたぞ。百貫デーブのタコ入道!」
梅玉堂は命のちぢまる思いをしたのであった。彼は戻ってくると、云った。
「とびぬけて利巧な娘だなんて、笑わせるじゃないか。不良少女だよ」
「そんなこと、あるもんですか。ボクは彼女と話を交したから分ります」
「バカな」
「お父さんは何を見てきたのです?」
「オレが見たのは裸体じゃないから、お前のように目がくらみゃしないのさ」
と、梅玉堂は言葉を濁してごまかした。からかわれたのを正直に白状する勇気がなかったのである。
そこへ少年がやってきた。お盆の上に蒸したジャガイモを幾ツかのせて、彼は三人の大人をいささかも怖れる様子なく、
「これ食べて下さいとさ。それから、兄さんだけお茶一しょに飲みましょう、だとさ。おいでよ」
「そうかい。待ってよ」
一夫は二ツ返事でタバコとライターを握って立ち上り、それから、ふと思い直して、いささかも悪びれるところなく学生服に着代え、二人を尻目に悠々と立ち去ったのである。
「兄さんだけ、ですッて。バカにしてるわね」
旅館の犬が庭にウロウロしているのを見ると、初音サンはジャガ芋をとりあげて投げた。犬は逃げてしまった。
すると、まもなく少年がきて、
「モッタイないから、ジャガ芋返しなさい」
「もらッたものは、私の物よ。犬にやっても鶏にやっても、かまやしないでしょう。アッ、そう、そう。あなたにいいものあげるわよ」
初音サンは少年を手なずけて、仕返ししてやりましょうと考えた。リュックの中からアップルパイと桃のカンヅメをとりだして、少年を部屋へよびこんで、御馳走した。
「どう? おいしいでしょう?」
「センベの方が、うめえな」
「これ、桃よ。おいしいでしょう」
「オレのウチの桃はもッとうめえ」
「オウチはどこ?」
「オレが云うても、おめえ知るめえ」
「理窟ッぽいわね。あなたの村の人たち、みんな、そう?」
「オレの村の者は、頭がいいな」
「あんた、ちッとも可愛くないわね」
「東京の者は、こんなもの食べてるのか」
「そうよ。もっと、もっと、おいしいもの食べてるわよ。オセンベだのシャガ芋の蒸したのなんか食べないわよ」
「モンジャ焼知らねえだろ」
「知らないわね」
「うめえぞ。東京の奴らに食べさせてえな」
「あんた、コーヒー好き?」
「アメリカ物はきれえだよ」
「コーヒーはアメリカ物じゃないわよ」
「きッとか」
「そうよ」
「じゃアどこの物だ」
「モカ。ジャバ。ブラジル」
「ブラジルかア。フン」
「ブラジルだけ、知ってたらしいわね」
「ジャバも知ってるよ。リオグランデデルノルデ、知ってるか。知らねえだろ」
「生意気な子ね。あんた、日本の子? アイノコでしょう」
「オレの村は日本一の村だ」
「もう、いいから、帰ってちょうだい」
たまりかねて、御帰館ねがったのである。少年は悠々と立ち上って、
「ジャガ芋、よこせ」
盆ごと持ってガイセンしてしまった。初音サンは毒気をぬかれてしまったらしい。
「田舎の子供ッて、みんなあんなかしら」
「まさかねえ」
「世間知らずのくせに、全然負けぎらいね。自分の村が日本の中心だと思ってるらしいわね。にくらしい」
「世間知らずと思えば腹も立ちませんよ」
「腹が立つわ。あれは、ほんとにあるのかしら。リオ、何とか、ノル、デル、ノル」
「リオグランデデルノルデ。アメリカとメキシコ国境を流れてる河の名ですよ」
「あら、そうお。アパッチくさい名だと思った。あなたまで変なこと知ってるわね」
八ツ当りであった。一夫は日本一の村の娘にとらわれてしまったらしく、いつまでも戻ってこない。時々、ゲラゲラとバカ笑いの声がきこえてくるのである。初音サンは村童に侮辱をかい、一夫には裏切られ、はじめて梅玉堂に向って何となく心に通うものを感じたようであった。
タソガレになった。ヒグラシが鳴いている。いくつかの滝の音が谷底いっぱいに立ちこめている。
「散歩しましょうよ」
「ハイ。そうしましょう」
宿の下駄がすごかった。昔はたしかに下駄屋の下駄であったらしいが、初代の鼻緒は失われて、ワラ縄の鼻緒である。
「ワラジと下駄のアイノコだなア。歩くうちに切れそうだ」
「気をつけて歩きましょうね」
ところが、あろうことか、吊橋の上で梅玉堂の鼻緒がプッツリ切れたのである。前へのめるのを力をこめて踏みとどまった。二十三貫五百の巨体がよろけたから、吊橋がゆれた。
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