を封じて待っていて下さい」
 まもなくオツネは壁にそうてノロノロ歩いてきたらしく戸をあける時まで跫音もしなかったが、戸をあけて、
「こんばんは」
「ちょッとその部屋で待っといで。いますぐ話が終るから」
「ハイ」
「どうも君はいけませんね。今夜はこの静かな部屋でアンマをとって休息したいと思っていたのに、案内もこわず隣室から潜り戸をあけてくるとは。すぐ帰っていただきたいと思いますね」
「それはとんだ失礼をいたしました。そういうこととは知りませんでとんだ失礼を。では、おやすみ」
「おやすみなさい」
 九太夫の一人二役だ。声とアクセントをちょッとちがえただけで、さのみ変化のある一人二役ではなかった。九太夫はイスを立って、歩かずに後方へ手をのばしてガラガラと潜り戸をしめた。
「さア、さア、これで無礼な客が退散しました。オツネサン、おはいり」
「ハイ」
 とオツネが部屋へはいった。
「オツネさん、いまのお客を知っているかね」
「さア、声だけでは分りませんが、私の知ってる人ですか。この旅館へくる人でね。それじゃア小田原の河上さんでしょう。ナマリで分りますよ」
「あの人は跫音のない人だね。出て行く跫音
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