太夫を訪問した。九太夫は彼を待っていたが、
「ここは海沿いで海の音が耳につくから山手の静かな宿をとっておきました。もう仕度もできております」
「海沿いではいけないのですか」
「そうなんです。音に関する実験ですから」
 山手の閑静な旅館で車を降りると、九太夫は階下の静かな部屋へ辻を案内し、
「この部屋をさがすのに苦労しましたが、だいたいに条件はよろしいようです。あなたはそのへんで黙って見ていて下さい。声をだしても身動きしてもいけませんよ。実験中はあらゆる音をつつしんで下さい。私はまずこの廊下のイスに腰かけ隣室の廊下へ通じる潜り戸をあけておきます。さて、ここへオツネサンをよびますが、あの女は自分ではカンのよいメクラだと思いこんでいますが、メクラは目が見えなくて他との比較を知らないのですよ。オツネサンは自分はカンがよいから一人で歩けると口癖に云いたがりますが、カンは大いによくないね。廊下の壁に沿うてノロノロノロノロ歩いてくるのですよ。便所なぞへ行くと何かに突き当ったり四苦八苦ですよ。先日私が一人言を云ったとき、オヤどなたかいらッしゃるんですかと聞くんです。ではいま呼びますからこれから暫時物音
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