をでたが、煙草の吸ガラがどうなっていたかは分らない。大川はアンマの最中煙草に火をつけたことは確かだがそれが何かに燃えうつった気配は感じられなかった。(オツネは鼻の感覚が敏感だと自称している)大川の部屋をでるとオツネは本邸の奥さんの部屋へ行った。そのとき奥さんが窓の外の男にゆすりを拒絶していたが、相手の男は誰か分らない。十一時半ごろオツネは退去したが、火事が発見されたのは一時四十七分である。消火後の調査では大川の部屋のドアの鍵が全部かけられていた。大川は窒息後に焼死したらしく他殺をうけたような外傷も毒殺された疑いも発見されていない。
 辻はその足で再び現場へ急行してみると、今しもその後の発表が行われたところで、大川のボストンバッグの焼けたのが発見されその中に約百万円ぐらいと推定される千円札束の燃え屑があったそうだ。当局ではそれをもって逆に外来者の兇行の疑いは失われたものと見きわめかけた様子であった。
 辻は当局の発表なぞはもう問題にはしていない。直接邸内の人々に対決するのだ。まず女中からというのが記者常識の第一課だから、三人の女中に個別対面してみたが、
「ゆうべのお客さんは大川さんお一人ですよ。たいがい今井という方と一しょに見えるものですから昼のうちにお掃除して――拭き掃除は庭番の爺さんですが、お二人ぶんの寝床の用意しておいたのですが、夜八時ごろお着きになったのは大川さんお一人でした。その後どなたもお見えにはなりません」
 三人の女中の答えは同じであった。オツネが立ち去るまで起きていたのは若い女中一人で、奥さんの部屋と女中部屋は大そう距離があるから何の物音もきこえなかったと云う。
「隣室との間のドアの鍵はふだんかけておくのですか」
「いいえ、私たち洋館のドアの鍵はかけない習慣でした」
 これは女中たちが断言したので他殺の見透しがでてきたのだ。
 そこで奥方に対面をねがった。案外にも面倒なく対面してくれたが、ゆすりのことをきくと激怒してしまった。
「私は誰にゆすられた覚えもありません。ゆうべ人にゆすられたなんて、そんなことはありません。その時刻には誰に会った覚えもありません。ましてそんなことを云った覚えは断じてないのです。おひきとり下さい」
 プイと立って出てしまった。大川のカバンの中の百万円については聞くヒマがなかったので慌てて警官のところへ行って問うてみると、株を買ってもらうために依頼した百万円だということが分った。オツネの言葉によっても奥さんがゆすりにお金をやった様子はなく、そのアベコベに拒絶したのだから、おそらくそういう性質の金なのだろう。
 あとの家族は息子の浩之介だが、彼は門に接続した門番小屋のようなところを事務所兼用にして寝泊りしているのである。彼の営業は高利貸しであった。熱海の大火の折に母からもらっていた山林を売って高利貸しをはじめ、その当時はかなりの好調であったらしいが、今では成績不振らしくビッコひきひき駈けずり廻っているだけで落ち目になると焦りがでて借り手にしてやられるようなことになりがちでいけなくなる一方であるらしい。使用人も居つかなくなり、中学をでて夜学へ通っている小僧が一人いるだけだった。事務所を訪ねてみると、帳簿のほかには探偵小説ばかりが並んでいる。ビッコのせいかブルジョアの息子のようなオットリしたところもない。
「ずいぶん探偵小説をお持ちですね」
「愛読書です」
「昨夜の十時半ごろですが、ある男が母堂を窓の外からゆすっていたというのですよ。母堂が答えて云われるにはもう一千万円もゆすったあげくまだゆするとはあつかましい。もう名誉もいらないのだからみんなに秘密を云いたてるがよい。ビタ一文もだしませんとね。すると窓の外の男がいまに後悔しますよと云って立ち去ったそうです」
「そんなことを母が云ったんですか」
「いいえ、偶然きいた人がいるのです」
「そうでしょうな。人が邸内で変死した当日にそんなことがあったと自分で云う人間がいたらおかしいです。またそんなことのあった直後に人を殺すのもおかしいでしょう。ましてゆすられてるのを人にきかれているのにね」
「探偵小説の常識というわけですか」
「まアそうです。母も探偵小説はかなり読んでる方ですよ」
「あなたはへんな男が門を通るのを見かけなかったのですか」
「ぼくは九時ごろからパチンコやって、その時刻ごろにはウドン屋でウドンを食べていましたね。この小僧君が小田原の夜学から戻った十一時ごろ偶然道で一しょになって帰ってきたのです。あなたはぼくがそのゆすりだと仰有りたいのかも知れないが、あの母から一千万円もゆすれる腕があれば高利貸しで失敗なぞするはずありませんよ」
「すると母堂からゆするには高利貸し以上の腕が必要だと仰有るわけですね」
「まアそうです。どんな秘密か知りませんが、そ
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