茶のみ話にしあっている。そこでこう云って休ませてもらい、疲れた晩の例によって五勺ほどの酒をのみ、
「乃田の奥さんは誰かにゆすられているんだよ。もう一千万円もゆすられたらしいよ。鬼女の面の旦那じゃないけどね」
 と今しがた人に云ってくれるなと頼まれたばかりのことまでお喋りしてしまった。そして五勺の酒によい気持になってグッスリねたから、オツネはその晩の火事を知らなかった。

        *

 火事のあったのは乃田家の別館であった。山の手の水利の悪いところだし広い庭の中でホースがとどいて水がでるまでにもずいぶん手間どってしまった。それで別館一棟だけがキレイに焼け落ちてしまったが、焼けた中に一人の男の死体が発見された。二部屋にフトンがしかれていて死体の方は一ツである。死体の部屋が火元らしく、この部屋の二ツのドアには鍵がかかっていたことが焼跡の調査の結果確定した。廊下に面したドアには内側から、隣りの部屋に通じるドアには外側から。そしてその隣室にもフトンがしかれていたのである。死体は大川であった。密室の死体であるから煙草の火の不始末か自殺かと一応結論がでかかっていたのであったが、たまたまオツネのアンマ宿の向いに新聞記者が住まっていた。そしてこの記者が現場の取材から戻ったとたんに女のアンマと近所の人の立話をきいてしまったのである。
「あのウチにはオツネサンがゆうべもみに行ったんですよ。その人が妙な人でね、オツネサンのような年増の不美人でも酔っぱらってアンマをとると乙な気持になって困ることもあるからと顔に鬼女の面をつけさせてアンマをとる例なんですッてね。ところがまたオツネサンはあすこの奥さんがゆすられてるのを聞いたんですッて。今までに一千万もゆすられてるからもうイヤです。秘密を方々で云いふらしなさいッてね。すると男がいまに後悔しますよと怖しい声で云ってたそうですよ」
 この記者は東京のさる新聞の支社員だ。今しも現場から戻ってきて本社へ平凡な過失死らしいと電話したばかりである。殺人なら大記事になる。温泉町ではこうした記事が大いに話題になるから、その方面に敏腕なのがそろっているものだ。近いころ関東の農家で似たような八人殺しがあって全国的な話題となったばかりであるから、これこそ特ダネとよろこんだ。
「そのオツネサンは今どこにいますか」
「まだグーグーねてますよ」
「もう十時をまわったじゃないか」
「アンマはそれぐらい寝ても毎日毎日疲れきってる商売よ」
 そこで、記者はオツネに面会を申しこんで叩き起してもらった。そんな大事件が起ったと知るとオツネは顔の色を失ってしまった。
「そんなこと新聞に書かれちゃ大変だよ。まさかそんなことが起るとは知らないからウカツに喋っちゃッたけどさ。もう何を訊かれても答えないわよ」
「答えてくれなきゃ尾ヒレをつけて書くだけさ。君が悪事をしたわけじゃアあるまいし、むしろ君は一躍有名になって日本中に名を知られるぜ。君を悪く云うどころか、すごい名探偵だなぞと人々がもてはやしてくれるぜ」
「どうしても書くつもり」
「それがぼくの商売だもの、これが書かずにいられるものかい」
「それじゃア仕方がないわね」
 とオツネは昨夜聞いたこと経験したことを辻記者に語ったが、なにぶんにも目の見えない人間の話であるからカンジンなところが一本釘がぬけてるようなアンバイだ。
「大川という人、君にゆすりらしい話をしたことがあったかい」
「まさか自分はゆすりですッて云う人ないと思うわよ」
「すると君は大川が眠ると部屋をでたんだね。そのとき鍵をかけずにでたわけだろう」
「あたりまえさ」
「大川の隣の部屋には誰が泊っていた?」
「誰も泊ってる様子はなかったけどね」
「ところが隣室と同じようにフトンがしいてあったらしいのだがね」
「それじゃア今井さんかな。大川さんと今井さんはお揃いで東京から来て泊ることが多いんだがね。私はしかしゆすりの男が今井さんだったと云うつもりはないんだよ」
「大川は君に鬼女の面をつけさせてアンマをとるぐらいだから時々みだらな素振りを見せたかい」
「それぐらい用心深い人だから、そんなことしたことないにきまってるよ。そんなことまで尾ヒレをつけられちゃアこまるじゃないか。注意しておくれ」
「ヤ、すまん。君に変な素振りをするようじゃア乃田の奥さんと何かがあっても不思議じゃないと思ったからだよ。つまり隣室のフトンが奥さん用かという意味さ」
「バカバカしい」
 辻はその他多くのことを聞きだしたが、アンマの観察だから確実と見てよいものは少かった。やや確実なのは次のことだ。
 オツネは九時半ごろから十時半ごろまで大川をもんだ。大川は酒と催眠薬をのんだと語っておりアンマの途中に大イビキで眠った。オツネはフトンを直してやり面を卓上において鍵をかけずに部屋
前へ 次へ
全10ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング