の秘密をつきとめる以外には手がないと思いますよ。もっともその秘密が軽々しく判明するぐらいならゆすりも成立しないわけですね。特に母の口からはきくことができますまい」
辻はそのとき本邸の応接間にいくつかの能面が飾られていたのを見たことを思いだした。その中には鬼女の面もあったように思った。鬼女の面とはどういう形のものか実は彼はよく知らないのである。
「お宅には鬼女の能面がいくつもあるのですか」
「そうですね。能面はたくさんありますよ。ウチでは父も母も仕舞い狂ですから能面は実用品です。日本で最優秀というべき面もいくつかあるはずです。鬼女の面も三ツや四ツはあるでしょうね」
「焼死体のあった部屋にも鬼女の面があったそうですね」
「あの別館には高価なものはおかないはずですが、何かそのような物があったかも知れません」
そこへ来客があったので辻は辞去したが、反対側の長屋に住んでいる爺やのところへ立ちよってアリバイをただしてみると、
「私は九時から十二時まで八百屋で将棋をさしていましたよ。ゆうべのことだから八百常にきいてごらんなさい」
八百常にただしてみるとこのアリバイはハッキリしている。八百常の家族も口をそろえて云うのだからまちがいなかった。辻は支社へ戻ると東京へ電話して今井という人物について調査を依頼し、次のような意味の原稿を送った。
はじめこの事件は過失死か自殺と見られたが、オツネの証言によって乃田夫人がすでに何者かに一千万円ゆすられ、また当夜十時半にも窓を叩いて訪れたゆすりを拒絶している事実が分った。この窓を叩いた何者かが殺人した疑いが濃厚となった。大川は女アンマに肩をもませるにも鬼女の能面をかぶらせるぐらい小心で用心深い男だから、オツネが夫人の部屋にいることを知りながら起きだしてゆすりに行くのはおかしいし、彼がタヌキ寝入りでなかったことはオツネがアンマの感覚と経験によってまちがいないと証言している。オツネは大川の熟睡を見とどけ能面を卓上におき鍵をかけずに立ち去っている。しかるに二ツのドアの鍵が一ツは外側一ツは内側からかけられているのは何者かが犯行ののちまず廊下にでるドアを内から鍵をかけて隣室へでてこのドアを外側から鍵をかけて逃げ去ったことを意味している。洋室のドアは女中たちが平素かけない習慣になっているので他の何者かがかけたことは明かだ。しかも隣室との間のドアは隣室の方からかけられているので死者の仕業でないことが証明できるのである。乃田夫人をゆすっていた男については明確にアリバイのあるのは庭番の爺やだけで、浩之介にはない。また常に大川と同行して泊っていた今井という人物は隣室のフトンにねることを予定して女中たちが用意しておいたものでこの人物のアリバイについても疑惑をもたれている。複雑な怪事件に発展する見透しが強くなった。ただカバンの百万円が奪われていない点について一応の疑惑はあるが、それは盗むヒマがないような突発事が起ったことを想像するより仕方がない。
こういう意味の記事を全国版地方版ともに写真入りで書きたてた。警察も他社も過失死と見てオツネに一応きいてみることも忘れていたから、この記事におどろいて本格的な調査がはじまったのである。
*
翌日任意出頭の形で熱海署に現れた今井は一昨夜は九時から十一時まで新宿で酒をのんで十二時前に帰宅していると述べた。
「今朝新聞でよんで知ったのですが、大川さんはゆすりではありませんね。むしろ金を貸していたのです。六七百万は奥さんに貸していたでしょう。奥さんは株に手をだして近ごろでは大損の連続で、もう売る物もつきかけていたようですよ。ちょッとした鉱物のでる山が残っていまして、これが貧鉱なんですが、それをぼくに売ってくれとの頼みで、なかなか買い手がウンと云わなかったのですが矢の催促です。これをどうやら千八百万で契約ができて半金だけ現金払いあとは三月後の手形ということで一週間ほど前にそこの社員とぼくが当家へきてとりあえず九百万の現金を渡して正式に契約書を取り交しました。そのとき奥さんにもう株をやってはいけませんとくれぐれも念を押して、また大川さんからの借金も払ってあげて下さいとおたのみしておいたのです。大川さんが一人で熱海へ見えられたのはそれを受けとるためで、私が保証人になっていた借用証も持って行かれました。そのタンポはこの豪華な屋敷ですから、これを元利六七百万で人手に渡すバカな話はないのです。ぼくはその前からちょッと怒っていましてね。それというのが奥さんがぼくに半年以上も交渉させて何度か現地まで人を案内しているのにその実費以外にお礼にくれたのがなんと五万円ですよ。思ったよりも売値がわるかったので怒った気持は分らぬこともありませんがこのデフレ時代でしょう。そういうわけで腹をたててい
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