なものが何より必要なのは農村なので、実際はこれほど物質化されてゐる精神はなく、実にただもう徹頭徹尾己れの損得観念だけだ。そのくせそれを自覚せず、自分達は非常に愛他的な献身的な精神的な生き方をしてをり、いつもただ人のために損をし、人に虐められるばかりだと思ひこんでゐる。
伊太利喜劇といふものがあつて、これは日本のにはかのやうに登場人物も話の筋もあらかたきまつたもので、例のピエロだのパンタロンのでてくる芝居だ。可愛いい女の子がコロンビーヌ。意地わるの男がアルカンなどときまつてゐて、ピエロはコロンビーヌにベタ惚れなのだがふられ通しで、色恋に限らず、何でもやることがドヂで星のめぐり合せが悪くて、年百年中わが身の運命のつたなさを嘆いてゐるのである。ところが舶来の芝居は情け容赦がないもので、日本の勧善懲悪みたいにピエロも末はめでたしなどといふことは間違つても有り得ず、ヤッツケ放題にヤッツケられ、悲しい上にも悲しい思ひをさせられるばかりだ。そのくせ狡いといへばこの上もなく狡い奴で、主人の眼や人目がなければチョロまかしてばかりゐる。
かういふ戯画化された典型的人物が日本の農村に就ても存在してゐてく
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