、原稿用紙と私との関係などよりはるかに深刻なものに相違ない。尤も我々の原稿用紙もいつたんこれに小説が書き綴られたときには、これは又農民の土にもまさるいのちが籠るのであるが、我々の小説は一応無限であり、又明日の又来年の小説が有りうるのに比べて土はもつとかけがへのない意味があり、軽妙なところがなくて鈍重な重量がこもつてゐる。
 土と農民との関係は大化改新以来今日まで殆ど変化といふものがなく続いてをり、土地の国有が行はれ、農民が土の所有権と分離して単に耕作する労働者とならない限り、この関係に本質的な変化は起らぬ。農の根本は農民の土への愛着によるもので、土地の私有を離れて農業は考へられぬ、といふのは過去と現在の慣習的な生活感情に捉はれすぎてゐるので、むしろ土地の私有といふことが改まらぬ限り農村に本質的な変化や進化が起らないといふことが考へられるほどだ。
 農村自体の生活感情や考への在り方などが、たとへそれがどのやうに根強く見えやうとも、その根強さのために正しいものだの絶対のものだのと考へたら大間違ひだ。江戸時代の田中丘隅といふ農政家が農民の頑迷な保守性を嘆じて「正法のことといへども新規のことは
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