動かしたものは農民だと云っても当の農民は納得しないに相違なく、農民個人というものはただ虐《しいた》げられており、娘や女房を売り、はては自分の身体まで牛馬なみに売りにだすような悲しい思いをしていることの方が多いのだが、その農民の個人々々の損得観念、損得勘定の合計が日本の歴史を動かしている。いじめられ通しの農民には、上からの虐待に応ずるには法規の目をくぐるという狡猾《こうかつ》の手しか対処の法がないので、自分が悪いことをしても、俺が悪いのではない、人が悪くさせるのだと言う。何でも人のせいにして、自主的に考え、自分で責任をとるという考え方が欠けており、だまされた、とか、だまされるな、と云って、思考の中心が自我になく、その代り、いわば思考の中心点が自我の「損得」に存している。自分の損得がだまされたり、だまされなかったり、得になるものは良く、損になるものは悪い。損得の鬼だ。これが奈良朝の昔から今に至る一貫した農村の性格だ。
 いつだったか、結城哀草果氏の随筆で読んだ話だが、氏の村のAという農民が山へ仕事に行くと林の中に誰だか首をくくってブラ下っているものがある。別に心にもとめず一日の仕事を終えて
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