色々とあって、国守の苛斂誅求《かれんちゅうきゅう》をさけるだけなら隣国へ逃げてもよい。こういう逃亡は走り百姓といって中世以降徳川時代までつづいていた。けれども税そのものを逃げるという手段もあって、口分田は税をとられるが荘園は国司不入の地であるから自分の田畑を逃げて荘園へ流れこむ。又は自分の土地を荘園へ寄進して脱税をはかるという風潮が全国一般のことになったから、国有の土地が減少して寺領とか権門勢家に所属する荘園がふとって、貴族や寺院は富み栄えて貴族時代を現出する。ところが貴族が都の花にうかれて地方管理を地方の土豪に委任しておくうちに、荘園の実権が土豪の手にうつって武家が興り、貴族は凋落《ちょうらく》するに至る。
 表向きの立役者は皇室、寺院、貴族、武家の如くであるが、一皮めくってみると、そうではない。実は農民の脱税行為が全国しめし合せたように流行のあげく国有地が減少して貴族がふとり、ついで今度は貴族へ税を収めるのが厭だというので管理の土豪の支配をよろこび、土豪を領主化する風潮が下から起っておのずと権力が武家に移ってきたので、実際の変転を動かしている原動力は農民の損得勘定だ。
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