、自分の年々の歴史のみではなく、父母の、その又父母の、遠い祖先の歴史まで同じ土にこもっているのであるから、土と農民というものは、原稿用紙と私との関係などよりはるかに深刻なものに相違ない。尤も我々の原稿用紙もいったんこれに小説が書き綴《つづ》られたときには、これは又農民の土にもまさるいのちが籠るのであるが、我々の小説は一応無限であり、又明日の又来年の小説が有りうるのに比べて土はもっとかけがえのない意味があり、軽妙なところがなくて鈍重な重量がこもっている。
土と農民との関係は大化改新以来今日まで殆ど変化というものがなく続いており、土地の国有が行われ、農民が土の所有権と分離して単に耕作する労働者とならない限り、この関係に本質的な変化は起らぬ。農の根本は農民の土への愛着によるもので、土地の私有を離れて農業は考えられぬ、というのは過去と現在の慣習的な生活感情に捉われすぎているので、むしろ土地の私有ということが改まらぬ限り農村に本質的な変化や進化が起らないということが考えられるほどだ。
農村自体の生活感情や考えの在り方などが、たとえそれがどのように根強く見えようとも、その根強さのために正しいも
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