かれていないが、これは昔の本の観点が狂っているからで、今の農村に行われていることが昔なかった筈はない。
 農民の歴史はたしかに悲惨な歴史で、今日のように甘やかされたことはなく、悲しい上にも悲しく虐げられてきたのだが、その代り、つけ上らせればいくらでもつけ上る、なぜなら自己反省がなく、自主的に考えたり責任をとる態度が欠けているからで、つまりはそれが農民の類い稀な悲しい定めに対するたくまざる反逆報復の方法でもあったのだろう。なんでも先様《さきさま》次第運命を甘受して、虐げられれば虐げられたように、甘やかされれば甘やかされたで、どっちも底なし、いつでも満ち足りず不平であり、自分は悪くなく、人だけが悪いのである。
 これは一つは土のせいだ。土は我々の原稿用紙のようにかけがえのある物ではないので、世界の大地がどれほど広くても、農民の大地は自分の耕す寸土《すんど》だけで、喜びも悲しみもただこの寸土とだけ一緒なのだ。ただこの寸土とそれをめぐる関係以上に精神がとどかないので、人間だか、土の虫だか、分らぬような奇妙な生活感情からぬけだせない。土地の私有がなくならぬ限り、農村の魂は人間よりも土の虫に近いも
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