しにやつてゐるものだといふ。つまり叩きつけた部分が音楽だとこれがモツアルトになりショパンになる。そこで先生私を天才なみに祝福した。
 ところが世の中はよくできてゐる。この詩人が四ヶ月ほど前自動車にひかれた。なんでも夢のやうに歩いてゐて、しまつたと思ひながら自動車の曲る方へ自分も曲つてしまつたのを覚えてゐるといふが、私のやうに運動神経が発達してゐないから、やられ方が至つて地味でそのうへむごたらしい。いきなりつんのめつて前頭部を強打した。前額は頭蓋骨でも一番頑強な部分だから砕けなかつたが、これが左右とか後頭部なら完全に即死だつた。そのうへ手と足を轢かれて全治一ヶ月の重傷とある。ところが話はこれからさきが洵《まこと》に愉快である。
 先生病院のベッドの上で気がついたときの様子はといふと、顔が二倍ぐらゐに腫れあがつてゐて、人相は四谷お岩をむくましたやうだつた。斯様な状態に於て先生おもむろに意識恢復し、全般の記憶を綜合してどうやら自動車に轢き倒され文句なしに顔を強打したといふ穏かならぬ自らの境遇に気付いたとき、暗澹たる寂寥に胸を痛ましたであらうことは疑ひのないところであるが、流石忽然として暗夜に
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング