争にならない。坦々たる大道を走るが如く、京城へ攻めこむことができた。然し、明の援軍には鉄砲が整備してゐた。そこで両軍対峙のまゝ戦線は停頓するに至つたのである。

 信長はその精神に於て内容に於てまさしく近代の鼻祖であつたが、直弟子秀吉を経、家康の代に至つて近代は終りを告げてしまつたのである。
 家康は小田原征伐の功によつて、関八州を貰ひ、江戸に移つた。このとき彼の最初の法令の一つは領内の鉄砲私有厳禁といふことであつた。信長は戦争に於て速力を重視した。進軍と共に輸送路の確保に重点をおき、縦横に道を通じることによつて、その戦勝の困をなした。家康は鉄砲の製造発達を禁じ、橋を毀し、関所を設け、鎖国した。
 応仁から信長に至る戦国時代は弱肉強食、下剋上、信義なく、保身のため、利益のために、裏切り、裏切られ、戦術に於て外交に於て、策略縦横の時代であつた。裏切つて利を収め身を保ち大をなすのは快いが、いつの日わが身が裏切られるか見当がつかぬ。策略縦横の激しさに策師自ら抗しかね疲れたのだ。かほどまで安からぬ思ひをして利をむさぼるには当らぬ。ともかく自国を保つて安眠したいといふ気持が育ち、自然に君臣仁義と
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