島原城へ駈けこみ、夜がくるまで何くれ手助けして誤魔化してゐたが、油断を見て、城内の鉄砲庫へ忍びこみ、手に手に鉄砲を分捕つてワッと脱走してしまつた。かうして一揆軍は少からぬ鉄砲鳥銃を所持することになつたのだ。
 とはいへ彼らには訓練がなかつたから、一揆の始めは団体の統一がなく、てんでんバラバラに鉄砲を打ちだす。ために威力乏しく、突撃され斬りこまれる不手際であつたが、次第に戦争のコツを会得して、三万七千の一団となり原城へ籠城した時には、濠をうがち、竹柵を構へ、この陰に数段の砲列をしいて順次に射撃するといふ、全く信長と同一の戦法を編みだすに至つた。蓋し彼らは農民で、徳川流の形骸にとらはれる所がなかつたから、武器の実質にもとづいて、純一に威力を生かす方法を発案することが出来たのである。この鉄砲の段列に対して幕府軍は刀をふりかぶつて突撃した。歯がたたぬ。一挙に七千余の戦死をだして退却のやむなきに至り、総大将板倉重昌は激怒、先登に立ち、竹柵によぢ登らうとして手をかけ片足をかけたとき、一弾に乳下を射抜かれて戦死した。一揆軍は五六十名の死傷をだしたにすぎぬ、段違ひの戦争であつた。
 代つて総大将となつ
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