ることに馴らされてしまひ自分の正しい慾念よりも他人の思惑の方を余計気にしたりするやうであります。それの愚かしいことに重々気付き、又憎んでゐても、長い習慣から脱けでることができません。
 横光氏の作品が西洋臭いやうに言はれてゐても、なかなかさうではないやうです。たとへば西洋臭さうな「悪魔」をとりあげてみても、まづ主人公が窓ぎわで顔を洗つてヒョッと顔をあげると前の二階に女がこつちを見てゐる、ちよつとバタ臭い場面のやうでゐて、その実この情景のあまりにも生き生きしてゐるのに驚いた私は、これが最も日本的であるからだといふ一つの考へに思ひ至つたのです。
 年がら年中内攻した生活の中にくすぶつてゐる日本人には、西洋人が異性の肌に直接手をふれて感じるであらう情慾を、一目見るだけで感じだすやうに馴らされてゐる傾向もあるでせう。直接話を交してのち男女理解し合ふといふなら普通でせうが、外面てんでんバラバラに生活してゐる我々日本の男女にとつては、話もせずに話を交したと同量の濃度をもつた感動を受けたりする垣間見ただけの感覚、さういふものに西洋人以上の深さと真剣味が含まれてゐるやうに思ふのは不当でせうか? 前掲の
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング