医師は招ぜらるゝまゝに出向いて行つて病人を診察し、薬を与へて帰つて来た。後日全快した病人が莫大な黄金をたづさへて医師のもとへ謝礼に来たので名前をきくと弾三郎であつた。狸から謝礼を受けるわけにはいかないといつて拒絶してしまつたところ、その日は悄然と帰つたが、日を改めて再び現はれ短刀|一口《ひとふり》差出して謝礼を受けてもらへないのは苦しい。これは貞宗のうつたものだが私の志を果させていたゞきたいと言つて返事もきかず短刀を残して逃げて帰つた。これも「燕石雑誌」にある話なのである。医師の名は伯仙。貞宗は無銘で、伯仙はこれを家宝として伝へたといふ。

 佐渡には狐がをらず、山中の怪は専ら狸のみであるといふ話であるが、対岸の新潟へくると、すでに狸よりも狐の方が有勢で、こゝには青山の団九郎といふ狐があり、彼が出没して行人を誑《たぶらか》したといふ青山の坂道は、今日でも団九郎坂と呼ばれてゐる。弾三郎と団九郎で名前の似てゐるのも、多少のつながりはあるのであらう。
 北条団水の「一夜舟」に、京都東山に庵を結ぶ碩学があり、一夜写経に没頭してゐると窓から手をさしのべて顔をなでる者があつた。そこで朱筆に持ちかへ
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