なのである。
 弾三郎は金持であつた。馬琴の地図によると、五十里山と黒光寺山にはさまれた山中二ツ岩(また二ツ山)といふところに穴を構へてゐたさうであるが、人里(羽田村とある)から二里余り、さう大して深山ではない。実地に調べたことがないので、上記の地名や伝説が今日も尚残つてゐるか僕は知らない。

 村人達は弾三郎から屡々《しばしば》金を借りた。借用の金額と返済の日限を書いた証文を穴の口へ置いてくる。翌日改めて出掛けると、穴の口には、証文の代りに金が置いてある習ひであつた。そのうち次第に返済しない人々が多くなつたので、弾三郎も金を貸さなくなつてしまつた。
 それでも物品だけは貸してくれた。里人に婚礼などがあつて、客用の膳椀などが不足な時に、弾三郎へかけつける。入用の品目と返済の日をしたゝめた証文を穴の口へ置いてくると、翌日は同じ場所に間違ひなく入用の品々が取揃へてある習慣だつた。
 ところが、これも返済しない人達が次第に多くなつたので、弾三郎はたうとう人間を信用しなくなり、物を貸さなくなつて、自然交渉が絶えてしまつたのであつた。
 その後も、然し、急病人があつて医師を迎へに来たものがあり、
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