の立ち並んでいる所で、各々の戸口に美人女給が立って、露路へ迷いこむ通行人を呼びこみ、時には手を握って引っぱりこもうとしたりした。
私はゴンドラを見出してズカズカはいった。王子君五郎氏はそこのバーテンだろうと思ったのである。然し、バーテンダーは彼氏ではなかった。見廻したが、まだ、ほかにお客が一人もおらず、女給のほかに男は見当らなかった。
「この店に王子君五郎という人がいるときいたんですが、もしや、常連にそういう人がおりませんか」
「君ちゃんでしょう。えゝ、おります」
と、こゝでは躊躇なくズバリと答えた。
「君ちゃーん。お客様よ」
と、一人は奥へよびかけた。
これから、どういう事が起ったか、ということについては、二十の扉や話の泉でかねて頭脳練成につとめている皆さん方、お分りですか。あと、三十秒。鐘が鳴らなかったら、皆さん方は、当事者の私よりも、御練達の士なのである。
王子君五郎氏はまさしく現われてきたのである。然し、これを君五郎氏と云っては、あるいはよろしくない。君ちゃん、である。然し、君ちゃん、と云うのも異様であるが、動物園の象に花子ちゃんとか、それで通用する世間でもあるから、君ちゃん、それでよろしいのだろう。ジキル氏とハイド氏ほど悪魔的なものではない。
現われ出でたる君ちゃんは女であった。然したしかに、王子君五郎氏でもあるのである。上野の杜《もり》では、すでにオナジミの極めてありふれた日本の一現象にすぎないのかも知れないが、センバン工王子君五郎という、決して女性的ではなく、むしろズングリと節くれた彼氏を知る私にとって、この出現が奇絶怪絶、度胆をぬかれる性質のものであったことは、同情していたゞかなければならない。
君ちゃんはまさしく女装であったが、女装であるという以外に、女らしいものは何もなかった。第一、普通の男娼なら、女の言葉を用いるだろう。君ちゃんはそうではない。私への気兼ねからではなく、日常そうであることは、私というものを除外して他の男女と話を交している態度を見れば察しがつくのである。
「エッヘッヘ。まったく、どうも、恐縮です」
と、はじめだけ、ちょッと、てれたが、あとは、もう、わるびれなかった。
「実は、なんですよ。これも、世を渡る手なんです。私は、例の男娼じゃアありません。なまじっか、あんなことをしたり、女ぶろうとするのが、いけませんので、全然そうでないところに、皆さんが面白がって、ひき立てゝ下さるコツがあるんです。はじめは、ほんのイタズラで、まア、仮装舞踊会みたいなもんで、それがマアうけたというわけですか。あんまり、うけやしませんが、何がさて私は、愚連隊になるだけの度胸はなく、そのくせ、愚連隊のハシクレに交らなくちゃア、私なんかの生きて行かれる御時世じゃアないじゃありませんか。こうして女装してりゃ、誰も喧嘩をうりやしませんし、仲間の仁義で血の雨をくゞる必要もありませんや。その代り、チップをはずむお客もいませんが、この風態で無難に身をひそめて、まア、ヤミ屋の片棒をかついでいるというわけです。先日はどうも、麻薬で失敗いたしましたが、あれなんかも、私自身は、これっぱかしも用いたことがございません。ひどく健全なるもんでして、女房子供をなんとか養って、エッヘッヘ実は、女房も、私のこの女装については、知っちゃいませんのです」
彼の細君は、却々《なかなか》の美人なのである。然し、それだけ、威張りかえって、非常に冷い女であった。
私が彼と知り合った戦時中、彼は細君の実家が農家であるところから、そのおかげで人の羨む食生活をしており、完全に女房に頭の上らぬ状態でもあったのである。そのことが焦りとなって、一カク千金、彼のような小心なケレンのない好人物が賭場へ入りびたるようになったらしい。教養のない女が生活の主権を握ると、まことにつけあがって、鼻持ちならぬ暴君となるもので、彼が尻の下にしかれた生活ぶりは、私には見るに忍びがたいものがあった。女房という暴君がなければ、彼は昔も今も実直なセンバン工であり、賭場へ入りびたったり、女装してヤミ屋の片棒をかつぐ必要もなかったであろう。彼は国民酒場へ行列したが、小さなジョッキ二つのめば充分に酩酊し、余分の券はみんな私にユーズーしたほど、酒についても無難な人物であった。
彼は男装に変って現われてきた。
「今宵は、ひとつ、ぜひ御案内致したいところがありますんで、エッヘッヘ。いぶせき所ですが、私がお伴致しております限り、先生にインネンを吹っかける奴もありません。その点は御安心を願いまして、人生の下の下なるところを、御見学願います」
「麻薬宿じゃないの。そんなの見ても仕方がないよ」
「どう致しまして。国法にふれる場所じゃアありませんや。エッヘッヘ。先生もいやに麻薬恐怖症ですな。ちょッと、お
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