待ちなすって」
 彼は一人の女給と片隅で何か打ち合せていたが、まもなく一人戻ってきて、私を外へつれだした。
 彼の店で強い酒をのんだせいで、私も大いに酔っていたが、見知らぬ土地の見知らぬ道を曲りくねって、案内された所は、新築したばかりの、ちょッと小粋な家であった。私は待合だろうと思ったが、そうではない。たゞの旅館なのである。そのあたりは、たしかに待合地帯ではなく、旅館のあるべきような地帯でもなかった。そのくせ部屋は待合の造りのようでもあり、立派な浴室があった。ほかに、客はいなかった。
「ここは君の内職にやってる店と違うのかい」
「どう致しまして。私なんかゞ、何百年稼いだって、こんな店がもてるものですか。ここは、マア、なんと申しますか、ここの主人も先のことは、目下見当がつかないのでしょう。今に料飲再開になる、その折は、という考えもあるでしょうし、何か考えているんでしょうが、今のところは、たゞの旅館、それも、パンパン宿ではないのです。だから、客もありませず、三四、知ってる者が利用する以外は、閑静なもんです」
 私たちが酒をのんでいるところへ、彼が先程店の片隅で打ち合せをしていた女給がはいってきた。不美人ではないが、美人というほどの女でもない。たゞ背丈がスラリとして、五尺四寸ぐらいはあろうと思われ、ムッツリした、冷めたそうな女であった。
 彼は女に酒をすゝめた。女はグイ/\呷ったが、却々酔った風がなかった。ヨッちゃん、ヨシ子という女であった。
「実は、先生に前もって話しておきゃアよかったのですが、目の前で、ザックバラン、隠し立てなく話した方が一興だろうと思いましてね」
 彼自身は人に酒をつぐばかりで、殆ど飲まなかったが、すでに酔って、目がすわっていた。
「この人は私と同じ田舎の生れなんですが、父親が小学校の校長でしてね、女学校をでると、絵の勉強をしていたのです。そのうち、これが偶然でして、この人の東京の下宿の隣家が刺青の名人だったのです。今と違って、そのころは戦争中のことで、刺青なんてものを、人がざらにやるものじゃアない。めったにお客もなかったのですが、この人が奇妙な人で、紙に絵を描くだけじゃアつまらない、自分の身体にやってみたい、いっそ刺青をやってみたい、自分の手で自分の身体にやってみたいと考えたのです。そこで隣家の刺青の名人に弟子入りして、とうとう、自分で自分の身体にやったのですが、やってみると、その出来栄えがつまらない。そりゃ、そうでしょう。ろくすっぽ稽古もやらずにやった仕事ですから、出来栄えがいゝ筈もないじゃありませんか。あげくに、どうしたと思います。刺青の部分を自分で皮をはいだんです。幸いモモのいくらでもない部分でしたから、ちょいと昏倒したぐらいで、済んだんですがね。まア、そういった人ですから、並の人とは気性も違います。つまり、女ながらも、骨の髄から芸術家の根性で、それについちゃア、鬼のような執念があるわけです」
 女は眉一つ動かさなかった。話は思いがけなく異様なものであるが、話の内容を本質的に納得させるような凄味がない。それは女の人柄のせいだ。本質的に、かゝる鬼の執念を持つ芸術家の凄味というものが感じられない。ジッと押し黙って、眉一つ動かさぬけれども、いかにもそれが薄っぺらで、今にも、チェッと舌打ちでもして、それが本性の全部のように感じられる女である。
「そんなわけで、気性が気性ですから、まア性格も陰性で、それに潔癖なんです。選り好みをしますから、お客もつかず、そうかと云って、パンパンをやるような人柄じゃアない。パンパン時代に、こんな気性じゃ、着物一枚つくるどころか、食べて生きて行くことだって難儀でさアね。ところが、この人が、ふだんから、先生のファンなんです。それでまア、これを機会に、先生にお近づきを願って、文学の方で身を立てたいという考えもあるのですから、御指導を願えたら、と、オセッカイのようですが、本人が黙り屋のヒネクレ屋ときていますから、私から、こうしてお願い申上げる次第なんです」
 彼の言葉には、マゴコロがこもっていた。単に紹介の労をとるというだけの性質のものではなかった。私の頭にひらめいたのは、彼と彼女との交情、二人は相愛の仲ではないかということだった。
 ウカツに返事はできない。文学の指導、といったって、先方の才能の見当がつかなければ、どうなるものでもなし、第一、文学の指導という結論に達するまでの話の筋が、いわば芸術的因果物というような血なまぐさい奇妙なもので、穏やかならぬものである。
 この又あとに結論があって、私の妾にしろとでもいうのであろうか。不美人という程ではなし、スラリとのびた姿態にはちょっと魅力があり、押し黙り、ひねくれて、いかにも陰性な感じであっても、一晩なら遊んでもいいぐらいの助平根性はあった
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