がたくさんいて、まるで収容所のようなものだから、彼氏の居る場所がない。三四日泊って、ほかに部屋を見つけて引越した。
 その後、まだマーケットなどゝいうものがハッキリした形で出来上らない路上で、彼が品物を売ったり買ったりしているのを見かけた。私が彼をヤミ屋とよんだのはそのせいである。それも半年ぐらいのもので、まもなく彼の姿は私の散歩区域では見かけることが出来なくなったのである。それから三年すぎていた。
 精神病院で、王子君五郎氏の訪問をうけて私も呆れた。そのときは、附き添いも女房も外出して、私一人であったが、特別私とレンラクのあった人物のほかは、精神病院の錠を下した関所を越え、又、看護婦の認可という関門を越えて、私の病室をつきとめて辿りつくということは不可能なのである。忍術使いと同じぐらい腕力的な侵入方法に練達している各新聞社の社会部記者や写真班すら、みんなお医者さんや看護婦に撃退されて、あえなく退却させられていたのである。
「よく、はいってこられたね」
 と、いうと、彼はヘッヘッヘッと笑って、フトコロから品物をとりだした。
「いつもお世話になりまして、お礼もできませんで、これは私の寸志でございます。先生もさだめしお苦しいことだろうと拝察致しまして、私もマア、ちょッと、顔がきくようになりましたもんで、どうやら手に入れて参りました」
「なんですか」
 彼は又クスリと笑って、頭をかいて、それから注射の恰好をしてみせた。
「なんだい? ヒロポンかい?」
「ど、どう致しまして。あれです。先生がお用いになっていた例の、麻薬」
 私もつくづく呆れてしまった。デマの結果が、こういう珍妙な事実になって現われようとは。
「麻薬って、君、モヒのことかい」
「そうです。イエス。エッヘッヘ」
 彼は又、頭をかいた。クスリと笑いつづけている彼の目に、妙に深々とした愛情がこもっていた。
「私自身は、これを用いておりませんが、よく知っているんでございます。中毒して入院する。入院中もぬけだして、ちょッと、用いにおいでになるもんですなア。骨身をけずられるようだてえ話を、マア、私もチョイ/\耳にしておりますんで、先生なんざ、愚連隊というものじゃなし、仲間のレンラクもなく、お困りだろうと、エッヘッヘ。そうなんでございます。この精神病院なぞと申しまして、鉄の格子に、扉に錠など物々しくやっておりますが、私共の方では、お茶の子なんでございます。みんなレンラクがありまして、ワケのないことでござんすよ。鉄格子から注射器と薬を差入れてやりゃ、なんのこともありませんや。愚連隊の中毒患者は、病院の中でいかにも神妙に、みんな用いておりますんで。エッヘッヘ。文明でござんす」
「へえ。文明なもんだねえ」
 と、私もまったく感服した。そして彼の厚意に、まことに極みなく清らかなものを感じて、ホロリとするほど心を打たれたが、それだけに、デマにすぎない実情を事をわけて説明するのに、甚しく心苦しい思いであった。
 私の訥々《とつとつ》たる説明をきき終ると、彼は非常に情けなそうな顔になった。私は彼を慰めるのに骨を折ったほどである。
「御退院もお近いようで、御元気な御様子を拝見致しまして」
 と、彼は急に、改って、よそ行きのような別なお愛想を言いだした。
「あんまり、つめてお考え遊ばしますからでございましょうが、又、先生が、華々しくお活躍あそばす日も近いだろうと思いますと、私のような者でも、心うれしく、甚だ光栄でございます。御退院の節は、ぜひお立ち寄り下さいまして」
 と、住所をコクメイな図面入りに書いて帰った。そこはさる盛り場の碁会所で、自分の家ではないけれども、昼間は、必ずそこにいるからと云った。
 退院してまもない夕方であった。彼の住む盛り場の近所へ所用があって出向いたが、そこは私の始めての土地で、おまけにその日は一人であり、知っている土地へ戻って一杯やるのもオックウであり、さりとて飲むべき店も見当がつかない。私は王子君五郎氏を思いだした。彼の厚意に報いるにもよい機会だから、誘いだして、このへんで一杯のもうと思ったのである。
 碁会所はすぐ分った。
「王子君五郎さんはいますか」
 ときくと、二人の娘がしばらく額をよせ集めてヒソヒソ話していたが、
「あゝそう、君ちゃんのことよ」
 と、一人が大声で叫んだ。
「なんだ。君ちゃんか」
 二人の娘は笑った。
「君ちゃんは、もう、いません、お風呂へ行った筈ですから、今日はもう来ませんわ」
「どこかへ行けば、会える場所があるんですか」
「それは、お店よ」
「お店?」
「御存知ないんですか。カフェー・ゴンドラと云いましてね、そこの露路の中程にあります。もう、出たころでしょう。でも、まだかも知れないわ」
 私は礼をのべて、その露路へ行った。そこは軒なみにカフェー
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