ひをしたのであつた。
 外交官といふものは人情に負けると失敗だ。本国と相手国の中間に於て、その両方の要求を過不足なく伝へるだけの単なる通話機械の如き無情冷淡を必要とする。要は之だけのものではあるが、考へるといふ働きあるために単なる機械に化することが至難事だ。本国の雰囲気にまきこまれても不可、相手国の雰囲気にまきこまれても不可、秀吉の怒りを怖れて相手国の情勢を率直に伝へる勇気がなくても不可であり、朝鮮側の意向を先廻りして帰順朝貢の筈がないときめてかゝる、之も亦不可。人情に負け、自分だけの思考によつて動きだすと失敗する。とはいへ、単なる通話機械と化するには一個の天才が必要だ。行長も義智も外交官の素質がなかつた。帳面づらと勘定を合せるだけの機智はあつたが、商人型の外交員にすぎなかつた。
 けれども、行長はむしろ正直な男であつた。秀吉の独断的な呑込み方に圧倒されて小細工を弄せざるを得ぬ立場になつたが、之はその人選に当を得ぬ秀吉自身の失敗。
 行長は切支丹であつたが如水も亦切支丹であつた。行長はその斬罪の最後の日に到るまで極めて誠実なる切支丹で、秀吉の禁教令後は追放のパードレを自領の天草に保護して布教に当らせ、秀吉と切支丹教徒の中間に立つて斡旋につとめ、自らの切支丹たることをついぞ韜晦《とうかい》したことがなかつた。如水は然らず。彼はパードレに向つて、自分は切支丹であるために太閤の機嫌をそこね、昇進もおくれ禄高も少い、と言つて、暗に切支丹を韜晦する自分の立場を合理化し、一方に禅に帰依して太閤の前をつくろつてゐた。尤も之には両者の立場の相違もある。行長は太閤の寵を得てをり、如水はさらでも睨まれてゐる。切支丹を韜晦せずにはゐられない危険な立場にゐたのであつたが、行長とても、多少の寵は禁教令の前に必ずしも身の安全の保証にはならぬ。高山右近の例によつて之を知りうる。行長は如水に比すれば正直であり、又、ひたむきな情熱児であつた。
 駿府の城で行長の報告をきいた秀吉は大満足。その晩は大酒宴を催して、席上大明遠征軍の編成を書きたてゝ打興じ、遠征の金に不自由なら貸してやるから心配致すな、ソレ者共、といふので、三百枚の黄金を広間にまきちらす馬鹿騒ぎ。
 京都へ帰着。日本国関白殿下の大貫禄をもつて天晴れ朝鮮使節を聚楽第《じゅらくだい》に引見する。
 秀吉は紗《しゃ》の冠に黒袍束帯、左右にズラリと列坐の公卿が居流れる。物々しい儀礼のうちに国書と進物を受けたけれども、酒宴が始まると、もう、ダラシがない。朝鮮音楽の奏楽が始まると、鶴松(当時二歳)をだいて現れて、之をあやしながら縁側を行つたり来たり、コレ/\泣くな、ホレ、朝鮮の音楽ぢや、と余念がない。すると鶴松が小便をたれた。秀吉アッと気付いて、ヤア小便だ/\。時ならぬ猿猴《えんこう》の叫び声。「容貌|矮陋《わいろう》、面色|黎黒《れいこく》」下賤無礼、話の外の無頼漢だ、と朝鮮使節はプン/\怒つて帰国の途についた。
 さうとは知らぬ秀吉、名護屋に本営を築城して、大明遠征にとりかゝる。行長と義智は困惑した。遠征軍が平和進駐のつもりで釜山に上陸すると、忽ちカラクリがばれてしまふ。どうしても一足先に赴いて何とか弥縫《びほう》の必要があるから、ひそかに秀吉に願ひでた。即ち、朝鮮使節はあゝ言つて帰つたけれども、彼等は元来表裏常ならぬ国柄であるから、果して本心から道案内に立つかどうか分らない。日本軍が上陸してから俄に違約を蒙つて齟齬《そご》を来しては重大だから、彼らの本心を見究めるため、自分らを先発させて欲しい。朝鮮の真意が分り次第報告するが、ともかく三月一杯は全軍の出陣を見合せるやう訓令を発していたゞきたい、と願ひでゝ、許可を得た。
 行長と義智は直ちに手兵を率ゐて先発する。彼らは必死であつた。釜山に上陸、直ちに交渉を開始して、清正の軍勢は目と鼻の先の島まで来てゐるし、後詰の大軍はすでに対馬に勢揃ひを完了してゐる。十数万の精鋭であるから、今、太閤を怒らせると、朝鮮はてもなく足下に蹂躙されるのが運命である。かくなる以上は遠征の道案内に立つ方が身の為だ、と言つて、彼らも死物狂ひ、なかば脅迫の言辞を弄して迫つたけれども、朝鮮の態度は傲慢で、下賤の猿面郎が大明遠征などゝは蜂が亀の甲を刺すやうなものだ、といふ頭から軽蔑しきつた文書によつて返答してきた始末であつた。
 宗義智はこの数年間|屡次《るじ》にわたつて朝鮮側と屈辱的な折衝を重ね、太閤の意志とうらはらな返翰《へんかん》を得て、之を中途で握りつぶしてゐたのであるから、露顕の恐怖に血迷つた。行長と打合せる余裕すらも失ひ、単独鄭揆に交渉したが、軽蔑しきつて返事もくれぬ。義智はすでに逆上した。進め、殺せ、狂乱叱咤、釜山城へ殺到して、占領する。然し、血の悪夢からさめた時には、単なる一小城の蹂躙と殺戮が自分を救ふ何の役にも立たないことを見出したばかりであつた。彼は絶望を抑へるために亢奮し、ゴロゴロした屍体の中を歩き廻つて血刀をふりあげながら絶えず号令を叫んでゐた。東莱の府使へ急使を派して、仮道入明に応じなければ釜山同様即刻武力をもつて蹂躙すると脅迫したが、使者のもたらした返事は簡単な拒絶の数言にすぎなかつた。義智はその言葉がよく聞きとれなかつたやうな変な顔でボンヤリしてゐたが、みんな殺すのだと呟いた。急に名状し難い勢ひで崩れた塀の上へ駈け上ると進軍の命令を下してゐた。殺到して東莱城を占領する。つゞいて、水営。つゞいて、梁山。義智の絶望と混乱のうちに飛火のやうに血煙がたち、戦争はまつたく偶発してしまつたのである。
 かくなれば、是非もない。道は一つ。行長は決意した。他の誰よりも真ッ先に京城に乗込み、朝鮮王と直談判して仮道入明を強要し、ツヂツマを合せなければならぬ。京城へ。京城へ。行長は走つた。
 清正をはじめ待機の諸将はさうとは知らない。行長が功をあせつて彼等をだしぬいたとしか思はなかつた。激怒して上陸、京城めがけて殺到する。統一も連絡もなく各々の道を走つたが、鉄砲を知らぬ朝鮮軍は単に屍体を飛び越すだけの邪魔となつたにすぎなかつた。日本軍は一挙に京城を占領し、朝鮮王は逃亡した。
 京城の一番乗は言ふまでもなく行長だつたが、一日遅れた清正は狡猾な策をめぐらし、自分の京城入城を知らせる使者を誰よりも早く名護屋本営へ走らせた。この報告には一番乗とは書き得ないので、たゞ今入城、と書いておいたが、一番早く入城の報告を行ふことによつて太閤に一番乗を思ひこませるためであつた。清正は行長にだしぬかれた怒りと一番乗が最大関心の大事であつたが、行長は一番乗の報告などにかけづらつてはゐられなかつた。
 京城に到着、行長は直に密使を朝鮮軍の本営に送つて、仮道入明、否々々、彼は太閤の訓令も待たず、直に明との和平交渉にとりかゝつた。即ち、明との和平を斡旋せよ、単刀直入、朝鮮軍にきりだした。彼は破れかぶれであつた。毒食はゞ皿まで、彼はもう弥縫のための暗躍に厭気がさして、卑屈な自分を呪つたが、所詮弥縫暗躍がまぬがれがたい立場なら、いつそ全てを自分一存のカラクリで仕上げてやれといふ自暴自棄の結論に達してゐた。朝鮮の説得だの、朝鮮風情を相手に小さなツヂツマを合せてゐるのは、もう厭だ。どうせ死ぬ命が一つなら、大明を直接相手に大芝居、即刻|媾和《こうわ》を結んでしまふ。どんな国辱的な条件でも、秀吉が気付かなければいゝではないか。自分が中間に立つて誤魔化してしまふ。一文の利得もなく一条の道義もないよしなき戦争、徒なる流血の惨事ではないか。間違へば自分の命はなくなるが、無辜《むこ》の億万人が救はれる。日本六十余州にも平和がくる。明も、朝鮮も、無意味な流血から救はれるのだ。
 そこで朝鮮本営へ密使を送つて明への和平斡旋方を切りだしたが、根が正直な男であるから自分一個の思ひつめた決意だけしか分らない。外交の掛引だの、朝鮮方の心理などには頓着なく、お互に無役な血を流すのは馬鹿々々しいことではないか、我々日本の将兵は数千里の遠征などは欲してゐないし、朝鮮も明も恐らく同じことだらう。要するに戦争の結果が単に三国の疲弊を招くだけのことにすぎないのだから、どつちの顔も立つやうにして、こんな戦争は一日も早く止す方がいゝ。さうではないか。即刻明へ和平斡旋に出向いてくれ。和平の条件などは自分と明とで了解し合へばそれでいゝので、どんな条件でも構はぬ。自分が途中でスリ変へて本国へ報告してシッポがでなければ、それでいゝ、之が人道、正義と云ふものではないか、と言つて、洗ひざらひ楽屋を打開けて、単刀直入切りだした。
 楽屋を打開けたものだから、朝鮮軍は軽蔑した。彼らは日本軍に文句なしの敗戦を喫したけれども、明軍を当にしてゐる彼等、自分一個の実力評価の規準がない。自分は負けたが明軍がくれば日本などは問題外だときめてゐる。その明軍の到着がすでに近づいてゐることが分つてゐたから、至極鼻息が荒くなつてゐるところへ、行長が楽屋を打開けたから、日本軍はもはや戦意を失つてゐる、明の援軍近しときいてすでに浮足立つてゐるのだと判断した。こういふ有様の日本軍なら明の援軍を待つまでもない、俺の力でも間に合ふだらう、と唐突に気が強くなり頭から甜《な》めてきた。そこで行長の交渉に返答すらも与へず、返事の代りに突然全軍逆襲した。行長は不意をつかれて一度は崩れたが、何がさて相手は鉄砲もない朝鮮軍のことで、行長を甘く見たから一時鼻息を荒くしたといふだけのこと、坡州から援兵が駈けつけて日本軍の腰がすはると、もう駄目だ。元の木阿弥、てもなく撃退されてしまつた。
 明の大軍が愈々近づく。之ぞ目指す大敵、将星一堂に会して軍略会議がひらかれる。このときだ、隠居はしても如水は常に一言居士、京城に主力を集中、その一日行程の要地に堅陣を構へ、守つて明軍を撃破すべしと主張する。大敵を迎へて主力の一大会戦であるから理の当然、もとより全軍異議なく、軍議一決の如く思はれたとき、小西行長が立つて奇怪な異見を立てはじめた。
 行長の意見は傍若無人、軍略の提案ではなく自分一個の独立行動の宣言にすぎないのだつた。諸氏、明軍来るときいて憶したりや、行長の調子は此《かく》の如きものだつた。源平の昔から勝機は常に先制攻撃のたまもの、之が戦争の唯一の鍵といふものだ。自分の兵法に守勢はない、よつて自分は即刻平壌に向つて前進出撃するが、否、平壌のみにとゞまらぬ。独力鴨緑江を越えて明国の首府に攻め入ることも辞さぬであらう。傲然として、四囲の諸将を睥睨した。
 然り。行長は平壌まで前進しなければならないのだ。他の誰よりも先頭に立たねばならぬ必要があるからである。朝鮮が和平斡旋を拒絶したから、道は一つ、全軍の先頭にでゝ、直接明の大将と談判しなければならないのだ。
 諸将はこのことを知らぬから、行長の決然たる壮語、叱咤、万億の火筒の林も指先で摧《くじ》くが如き壮烈無比なる見幕に驚いた。怒り心頭に発したのは如水。豎子《じゅし》策戦を知らず、徒に壮語を弄して一時の快を何とかなす、然し、つとめて声を和げ、余勢をかつての前進は常に最も容易であるが、遠く敵地に侵入して戦線をひろげ兵力を分散して有力な敵の主力を邀《むか》へることは不利である。諺に「用心は臆病にせよ」とはこのことだ、と説いたけれども、もとより戦略などが問題ではない行長、焦熱地獄も足下にふんまいて進みに進む見幕は微塵も動かぬ。ボンクラ諸将は俄に心中動揺して、成程《なるほど》守る戦争は卑怯だなどゝ行長の尻馬に乗る。大将格の浮田秀家自体がこの動揺に襲はれてしまつたから、軍議は蜂の巣をつゝいた如く湧きかへつて、結局、行長の前進を認めてしまつた。
 行長は平壌へ前進する。ほつとくわけにも行かぬから、平壌から京城にかけて俄ごしらへの陣立をつくり諸将が分担布陣したが、延びすぎた戦線、統一を欠く陣構へ。すでに戦争は負である。
 如水は全くふてくさつた。怒気満々、病気と称して帰国を願ひでる。許可を得て本国へ引上げたが、今に見よ、行長め、負けてしまへ。果して行長は敗北する、全軍大混乱。ザマを見よ
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