朝鮮遠征の計画をも合せ含めて、対馬の領主|宗義調《そうよししげ》に徴状を発し、如水や安国寺|恵瓊《えけい》に向つて、九州の次は朝鮮、その朝鮮を案内に立てゝ大明征伐が俺のスゴロクの上りだからお前達も用意しておけ、と言つて痩せた肩を怒らせてゐたといふ。
ところが、九州が平定する。すると秀吉は忘れてゐない。さつそく宗義調に命じて、平和的に朝貢するやう朝鮮にかけあへ、と言つてきた。宗は秀吉の気まぐれで、九州征伐余勢の気焔だらうと考へ、本心だとは思ふことができないから、なんの朝鮮如き、殿下の御威光ならば平蜘蛛《ひらぐも》の如く足下にひれふすでございませう、と良い加減なお世辞を言つて秀吉を喜ばせておいた。
だが、秀吉は人が無理だといふことを最もやる気になつてゐた。なぜなら、他人にはやれないことが自分にだけは出来るのだし、又、それを歴史上に残してみせるといふ増上慢にとり憑れてしまつたからだ。この増上慢の根柢には科学性が欠けてゐた。彼はさしたる用意もなく、日本平定の余勢だけで大明遠征にとりかゝつた。人には出来ぬ、然し俺には出来るといふ信念だけがその根柢であつたから、彼に向つて直接苦言を呈する手段が
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