憎しみと蔑みは骨髄に徹してゐた。たま/\淀君の裾に縋つて外征阻止をはかつたときいたから、如水の軽蔑は激発して、彼が不当に好戦意慾に憑かれたのもさういふところに原因のひとつがあつた。
だが、この遠征には、秀吉も知らぬ、家康も知らぬ、如水はもとよりのこと、三成すらも気づかなかつた奇怪な陥穽があつたのである。
二
信長は生来の性根が唯我独尊、もとより神仏を信ぜず、自分を常に他と対等の上に置く独裁型の君主であつたが、晩年は別して傲慢になつた。
秀吉が信長の命を受けて中国征伐に出発のとき、中国平定後は之をお前にやるから、と言はれて、どう致しまして、中国などは他の諸将に分与の程を願ひませう。その代り、中国征伐のついでに九州も平らげてしまふから、九州の年貢の上りを一年分だけ褒美に頂戴致したい、之を腰にぶらさげて朝鮮と明を退治してきます、と言つて、信長を笑はせた。秀吉の出放題の壮語にも常に主人の気持をそらさぬ用意が秘められてをり、信長の意中を知る秀吉は巧みに之を利用して信長の哄笑を誘つたのだが、やがてそれが秀吉自身の心になつてしまふのだつた。
秀吉は九州征伐の計画中には同時に
前へ
次へ
全116ページ中65ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング