なかつたのである。
 まだ小田原征伐が残つてゐる、奥州も平定してゐないといふのに、秀吉は宗|義智《よしとし》に督促を発して、まだ朝鮮が朝貢しないが、お前の掛合はどうしてゐる。直ちに朝貢しなければ、清正と行長を攻めこませるから、と厳命を達してきた。
 宗義智は驚いた。義智の妻は小西行長の妹で義の兄弟、この両名は朝鮮のことに就ては首尾一貫連絡をとつてゐる。行長の父は元来堺の薬屋で唐朝鮮を股にかけた商人、そこで行長も多少は朝鮮の事情を心得てゐたから、殿下が遠征の場合は拙者めに道案内を、と言つて、兼々《かねがね》うまく秀吉の機嫌をとりむすび、よからう、日本が平定すると唐入だから怠らず用意しておけ、その方と清正両名が先陣だ、かう言つて、清正と二人、肥後を半分づゝ分けて領地に貰ひ、その時から唐入の先陣は行長と清正、手筈はちやんときまつてゐた。
 秀吉の計画は唐入、即ち明征伐で、朝鮮などは問題にしてをらぬ。朝鮮づれは元々日本の領地であつた所であり、宗の掛合だけでたゞの一睨み、帰順朝貢するものだと思つてゐる。そこで朝鮮を道案内に立て明征伐の大軍を送る、之が秀吉のきめてかゝつたプラン、宗義智に命じて掛合
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