。
ところが如水は碁に耽つて仕事を忘れる男ではない。それほど碁好きの如水でもなかつた。野性の人だが耽溺派とは趣の違ふ現実家、却々《なかなか》もつて勝負事に打ち興じて我を忘れる人物ではない。このことは秀吉がよく知つてゐる。けれども斯う言つて如水のためにとりなしたのは、秀吉が朝鮮遠征軍の内情軋轢に就て良く知らぬ。遠征軍の戦果遅々、その醜態にいさゝか不満もあつたから、律儀で短気で好戦的な如水が三奉行に厭味を見せるのも頷ける。そこで如水のために弁護して、之は俺の大失敗だと言つて笑つてすました。
たかゞ碁に打ち耽つて来客を待たしたといふ、よしんば厭味の表現にしても、子供の喧嘩のやうなたあいもない話であるから、自分が頭を掻いて笑つてしまへばそれで済むと秀吉は思つてゐた。
ところが、さうは行かぬ。この小さな子供の喧嘩に朝鮮遠征それ自体の大きな矛盾が凝縮されてゐたのであつたが、秀吉は之に気付かぬ。秀吉はその死に至るまで朝鮮遠征の矛盾悲劇に就てその真相の片鱗すら知らなかつたのであるから、この囲碁事件を単なる頑固者と才子との性格的な摩擦だぐらゐに、軽く考へてしかゐなかつた。
元来、如水が唐入(当
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