ういふ時の約束で、秀吉は暫し呆然、あの狸めのやることばかりは見当がつかぬ、思はず長大息に及んだといふ。
 如水には、ビタ一文恩賞の沙汰がなかつた。


   第二話 朝鮮で


       一

 釜山郊外|東莱《とうらい》の旅館で囲碁事件といふものが起つた。
 石田三成、増田長盛、大谷刑部の三奉行が秀吉の訓令を受けて京城を撤退してきて、報告のため黒田如水と浅野弾正をその宿舎に訪れた。ところが如水と弾正は碁を打つてゐる最中でふりむきもしない。三奉行はさうとは知らず暫時控えてゐたが、そのうちに、奥座敷で碁石の音がする。待つ人を眼中になく打ち興じる笑声まで洩れてきたから、無礼至極、立腹して戻つてしまつた。さつそくこの由を書きしたゝめて秀吉の本営に使者を送り、如水弾正の嬌慢を訴へる。
 秀吉は笑ひだして、イヤ、之は俺の大失敗だ。あのカサ頭の囲碁気違ひめ、俺もウッカリ奴めの囲碁好きのことを忘れて、陣中徒然、碁にふける折もあらうが、打ち興じて仕事を忘れるな、と釘をさすのを忘れたのだ、さつそく奴めしくじりをつたか。之は俺の迂闊であつた。まア、今回は俺にめんじて勘弁してくれ、と言つて三成らを慰めた
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