水をよぶとは、秀吉は無心であつたか知れないが、之はあくどいやり方だ。ハテ、何と言つたな、あの小僧め、憎むべき奴、首をはねて之へ持て。アヽ、あの小僧、左様ですか、承知致した。
 如水は引きさがつたが、父の憲秀、之は落城のとき北条の手で殺された。然し、長男の新六郎はまだ生きて、之は厚遇を受けてゐる。何食はぬ顔、新六郎を戸外へ呼びだして、だしぬけに一刀両断、万感|交々《こもごも》到つて痛憤秀吉その人を切断寸断する心、如水は悪鬼の形相であつた。獅子心中の虫め。屍体を蹴つて首をひろひ、秀吉のもとへブラ下げて、戻つてきた。ハテナ、之は長男新六郎の首と違ふか? ハ、何事で? アッ、やつたな! チンバめ! 秀吉は膝を立てゝ、叫んだ。俺に忠義の新六郎を、貴様、ナゼ、殺した!
 之はしたり。左様でしたか。如水はいさゝかも動じなかつた。冷静水の如く秀吉の顔を見返して、軽く一礼。とんだ人違ひを致して相済まぬ仕儀でござつた。あの左馬助は父の悪逆に忠孝の岐路に立ち父兄の助命を恩賞に忠義の道を尽した健気な若者、年に似合はぬ天晴な男でござる。この新六郎めは父憲秀と謀り主家を売つた裏切者、かやうな奴が生き残つてお歴々と
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