れるもので、まして振られた同志ではあり、ふられた同志といふものは労はりあつた挙句の果に、結局実力の足りない方が恋の手引をするやうな妙な巡り合せになりがちなものだ。
 家康は如水の口上をきゝ終つて頷き、なるほど、御説の通り私の娘は氏直の女房で、私と北条は数年前まで同盟国、昵懇《じっこん》を重ねた間柄です。ところが、昵懇とか縁辺は平時のもので、いつたん敵味方に分れてしまふと、之が又、甚だ具合のよからぬものです。色々と含む気持が育つて、ない角もたち、和議の使者として之ぐらゐ不利な条件はないのですね、と言つて拒絶した。如水が家康を見込んで依頼した口上とあべこべの理窟で逆をつかれたのであるが、理窟をまくしたてると際限を知らぬ口達者の如水、ところが、この時に限つて、アッハッハ、左様ですか、とアッサリ呑みこんでしまつた。
 如水は家康に惚れたから、持前のツムジをまげることも省略して、呑込みよろしく引上げてきた。秀吉に対する忿懣の意識せざる噴出であつた。否、秀吉に対する秘密の宣戦布告であつた。如水は邪恋に憑かれた救はれ難い妄執の男、家康の四十の恋を目にとめたが、その実力秀吉に頡頏《けっこう》する大人物と評価して、俄に複雑な構想を得た。この人物に親睦すれば、再び天下は面白く廻りだしてくる時期があるかも知れぬ。天命は人事を以てはかり難し。天命果して徳川家康に幸するや否や。俄に眼前青空ひらけて、如水は思はず百尺の溜息を吹き、猿めの前には隠居したが、又、人生は蒔き直し。
 何食はぬ顔、秀吉の前に立戻り、徳川大納言の口上は之々、駄目でござつた。然し、ナニ、北条を手なづけるぐらゐ、人の力はいり申さぬ。拙者一人でたくさん、吉報お待ち下されい。屁でもない顔付、自らかう力んで大役を買つてでた。壮んな血気は持前の如水であつたが、人生蒔直しの構想を得た大亢奮に行きがゝりを忘れ、ムク/\と性根が動いて、大役を買つてしまつた。

       四

 如水は城中へ矢文を送つて和睦をすゝめる第一段の工作にかゝり、ついで井上平兵衛を使者に立てゝ酒二樽、糟漬《かすづけ》の魴《ほう》十尾を進物として籠城の積鬱を慰問せしめる。氏政からはこの返礼に鉛と火薬各十貫目を届けて城攻めの節の御用に、といふ挨拶。城中の弾薬貯蔵をほのめかす手段でもあつたが、実際、鉄砲弾薬の貯蔵は豊富であつた。之は先代氏康の用意で、彼は信玄、謙信と争ひ譲るところのなかつた良将であり、当代氏政は単に先代の豊富な遺産を受けついだといふだけだつた。
 そこで如水は更にこの答礼と称し、単身小田原城中へ乗りこんだ。肩衣に袴の軽装、身に寸鉄を帯びず、立ち姿は立派であるが、之がビッコをひいて、たつた一人グラリクラリと乗込んで行く。存分用意の名調子、熱演まさに二時間、説き去り説き来る。時機がよかつた。伊達政宗の敵陣参加で城中の意気に動揺のあつたところへ、松田憲秀の裏切発見、随一の重臣、執権の反逆であるから将兵に与へた打撃深刻を極めてゐる。氏政も和睦の心が動いてゐた。
 如水は四国中国九州の例をひき、長曾我部、毛利、島津等、和談に応じた者はいづれも家名を存してをる。師匠の信長は刃向ふ者は必ず子々孫々根絶せしめる政策の人であつたが、その後継者秀吉は和戦政策に限つて全くその為すところ逆である。武田勝頼が天目山に自刃のとき、秀吉は中国征伐の陣中でこの報告をきいたが、思はず長大息、あたら良将を殺したものよ、甲斐信濃二ヶ国を与へて北方探題、長く犬馬の労をつくさせるものを、と嘆いた。同じ陣中にゐた如水はまのあたりこの長大息を見て、秀吉の偽らぬ心事を知つたのである。これのみではない。秀吉と如水は二人合作の上で、浮田と和議をむすび、信長の怒りにあつて危く命を失ひかけたこともある。蓋し、信長はあくまで浮田を亡して、領地を部下の諸将に与へるつもり、然し、秀吉は木下藤吉郎の昔から和交を以て第一とすること誰よりも如水が良く知つてゐる。今や日本六十余州、庶民はもとより武将に至るまで長々の戦乱に倦み和平をもとめて自ら秀吉の天下を希んでゐる。之を天下の勢ひと言ふ。過去の盟約、累代の情義の如きも、この大勢の赴く前では水の泡に異ならぬ。しかも天下の大勢は益々|滔々《とうとう》たる大流となつて秀吉の統一をのぞむ形勢にあるのだから、この大流に逆ふことや最も愚。秀吉の内意は和平降伏の賞与として、武蔵、相模、伊豆三国を存続せしめるといふのだから、和議に応じ、祖先の祭祀を絶さぬ分別が大切である。和平条約の実行については、万違背のないこと、自分が神明に誓ふから、と言つて、懇々説いた。
 如水の熱弁真情あふれ、和談の使者の口上を遠く外れて惻々《そくそく》たるものがあるから、かねて和平の心が動いてゐた氏政は思はず厚情にホロリとした。そこで日光一文字の銘刀と東鑑《あずまかがみ》
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