あつた。利家は秀頼の幼小が家康の野心のつけこむ禍根であると思つてゐたが、実際は、豊臣家の世襲支配を自然の流れとするだけの国内制度、社会組織が完備せられてゐなかつたのだ。秀吉は朝鮮遠征などといふ下らぬことにかけづらひ国力を消耗し、豊臣家の世襲支配を可能にする国内整備の完成を放擲してゐた。秀吉は破綻なく手をひろげる手腕はあつたが、まとめあげる完成力、理知と計算に欠けてゐた。家康には秀吉に欠けた手腕があり、そして時代そのものが、その経営の手腕を期待してゐた。時代は戦乱に倦み、諸侯は自らの権謀術数に疲れ、義理と法令の小さな約束に縛られて安眠したい大きな気風をつくつてゐる。それにも拘らず天下自然の窓がなほ家康の野心のためにひらかれ、天下は自ら二分して戦乱の風をはらんでゐる。それは豊臣家の世襲支配の準備不足のためであり、いはゞ秀吉の落度であつた。その秀吉の失敗の跡を、家康は身に泌《し》みて学び、否、遠く信長の失敗の跡から彼はすでに己れの道をつかみだしてゐた。彼は時代の子であつた。彼が自ら定めた道が時代の意志の結び目に当つてゐた。彼はためらはず時代をつかんだ。彼は命をはつたのだ。彼に課せられた仕上げの仕事が国内の整備経営といふ地味な道であつたから、彼は保身の老獪児であるかのやうに見られてゐるが、さにあらず、彼はイノチを賭けてゐた。秀吉よりも、信長よりも太々しく、イノチを賭けて乗りだしてゐた。
利家は不安であつた。彼の穏健な常識がその奇妙な不安になやんでゐた。彼は家康の威風に圧倒されて正義をすて戦意を失ふ自分の卑劣な心を信じることができなかつたし、事実彼は勇気に欠けた卑怯な人ではなかつたから、その不安がなぜであるか理解ができず、彼はたゞ家康の野望を憎む心に妙な空間がひろがりだしてゐることを知るのであつた。彼は穏健常識の人であるから時代といふ巨大な意志から絶縁されてをらず、彼はいはゞたしかに時代を感じてゐた。それが彼に不安を与へ、心に空間を植えるのだつたが、友情といふ正義への愛情に執着固定しすぎてゐるので、その正体が理解できず、むしろ家康と会見し、一思ひに刺違へて死にたいなどゝ思ふのだつた。その彼は、すでに一間の空間を飛び相手に迫つて刺違へる体力すらも失つてゐた。
家康は利家の小さな正義をあはれんだ。彼は利家を見下してゐた。利家の会見に応じ、刺違へて殺されないあらゆる用意をとゝの
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