てたゞ戦争をたのしんでゐる。信玄には天下といふ目当てがあつた。彼は田舎戦争などやりたくないが、謙信といふ長脇差は思ひつめた戦争遊びに全身打ちこみ、執念深く、おまけに無性に戦争が巧い。どうにも軽くあしらふといふわけには行かず、信玄も天下を横に睨みながら手を放すといふわけに参らず大汗だくで弱つたものだ。勤王だの大義名分は謙信の趣味で、戦争といふ本膳の酒の肴のやうなもの。直江山城はその一番の高弟で、先生よりも理知的な近代化された都会的感覚をもつてゐた。それだけに戦争をたのしむ度合ひは一さう高くなつてゐる。真田幸村といふ田舎小僧があつたが、彼は又、直江山城の高弟であつた。少年期から青年期へかけ上杉家へ人質にとられ、山城の思想を存分に仕込まれて育つた。いづれも正義を酒の肴の骨の髄まで戦争狂、当時最も純潔な戦争デカダン派であつたのである。彼等には私慾はない。強ひて言へば、すこしばかり家康が嫌ひなだけで、その家康の横ッ面をひつぱたくのを満身の快とするだけだつた。
 直江山城は会津バンダイ山湖水を渡る吹雪の下に、如水は九州中津の南国の青空の下に、二人の戦争狂はそれ/″\田舎の逞しい空気を吸ひあげて野性満々天下の動乱を待ち構へてゐたが、当の動乱の本人の三成と家康は、当の本人である為に、岡目八目の戦争狂どもの達見ほど、彼等自らの前途の星のめぐり合はせを的確に見定め嗅ぎ当てる手筋を失つてゐた。特に三成は四面見渡す敵にかこまれ、日夜の苦悶懊悩、そして、彼の思考も行動も日々夜々ただ混乱を極めてゐた。
 秀吉が死ぬ。遺骸は即日阿弥陀峯へ密葬して喪の発表は当分見合せとかたく言ひ渡した三成、特に浅野長政とはかつて家康に魚をとゞけて何食はぬ顔。その翌日、家康何も知らず登城の行列をねつてくると、道に待受けたのは三成の家老島左近、実は登城に及び申さぬ、太閤はすでにおかくれ、三成より特に内々の指図でござつた、と打開ける、前田利家にも同様打開けた。家康は三成の好意を喜び、とつて帰すと、その翌日はすでに息子秀忠は京都を出発走るが如く江戸に向ふ、父子東西に分れて天下の異変にそなへる家康例の神速の巻、浅野長政は家康の縁者で、喪を告げぬとは不埒な奴と家康の怒りを買ふ、だまされたか三成めと長政は怒つたが、長政をだしぬくなどの量見は三成にはない。彼はたゞ必死であつた。自信もなければ、見透しも計画もなく、無策の中から一日
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