て渡韓した。帰順朝貢などゝいふ要求は始めから持ちださない。けれどもシッポがばれては困るから秀吉の要求だけは相手に告げた上で、どうも成上り者の関白だから野心に際限がなく身の程を知らなくて自分らは無理難題に困つてゐる。貴国の方で帰順朝貢仮道入明などゝいふ馬鹿々々しいことは出来る筈でないけれども、自分が間にはさまつて困つてゐるから体よくツヂツマを合せてくれ。つまり交隣通信使をだしてくれぬか。交隣通信使は二ヶ国間の対等の公使であるが、之を帯同して秀吉の前だけは帰順朝貢と称して誤魔化してしまふ。その代り、御礼として、叛民の沙乙背同と俘虜の孔太夫を引渡すし、又、倭寇の親分の信三郎だの金十郎だの木工次郎といふてあひを引捕へて差上げるから、と言つて、三拝九拝懇願に及んだ。
 ともかく朝鮮側の承諾を得ることができて、交隣通信使たる黄充吉、副使の金誠一らを伴つて京都に上り、之を帰順朝貢と称して上申したのだが、朝鮮王からの公文書は途中で偽造してシッポのでないものに造り変へておいたのだ。
 この朝鮮使節が上洛したのは小田原征伐の最中だつたが、朝鮮などは元々日本の臣下ときめてかゝつた秀吉、あゝ、左様か、ヨシヨシ、待たしておけ、問題にしない。五ヶ月間、京都に待たせておいた。
 小田原遂に落城、秀吉は機嫌よく帰洛する、途中駿府まで来たとき、小西行長が駈けつけてきて拝謁し、改めて朝鮮使節の来朝に就て報告する。秀吉は満足して、アッハッハ、あつさり帰順朝貢しをつたか、さもあらう、それに相違あるまいな、と念を押したが、頭からきめてかゝつて疑ふ様子がないのだから、行長は圧倒されて、否定どころか、多少の修正をほどこすだけの勇気もない。そこで秀吉がたゝみかけて、然らば唐入の道案内も致すであらうな、と問ひたゞすと、それはもう、殿下の御命令に背く筈はございませぬ、かうハッキリと答へてしまつた。
 朝鮮使節の一行が交隣通信使にすぎぬなどゝは秀吉もとより夢にも思はず、行長と義智の外には日本に一人の知る者もない。三百名の供廻りをつれ、堂々たる使節の一行であるから、之が帰順朝貢とは殿下の御威光は大したもの、折から印度副王からの使節なども到着して京都は気色の変つた珍客万来、人々は秀吉の天下を謳歌したが、五ヶ月間の待ちぼうけ、この間の使節一行をなだめるために行長と義智は百方陳弁、御機嫌をとりむすぶのに連日連夜汗を流し痩せる思
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