ところが如水は碁に耽つて仕事を忘れる男ではない。それほど碁好きの如水でもなかつた。野性の人だが耽溺派とは趣の違ふ現実家、却々《なかなか》もつて勝負事に打ち興じて我を忘れる人物ではない。このことは秀吉がよく知つてゐる。けれども斯う言つて如水のためにとりなしたのは、秀吉が朝鮮遠征軍の内情軋轢に就て良く知らぬ。遠征軍の戦果遅々、その醜態にいさゝか不満もあつたから、律儀で短気で好戦的な如水が三奉行に厭味を見せるのも頷ける。そこで如水のために弁護して、之は俺の大失敗だと言つて笑つてすました。
 たかゞ碁に打ち耽つて来客を待たしたといふ、よしんば厭味の表現にしても、子供の喧嘩のやうなたあいもない話であるから、自分が頭を掻いて笑つてしまへばそれで済むと秀吉は思つてゐた。
 ところが、さうは行かぬ。この小さな子供の喧嘩に朝鮮遠征それ自体の大きな矛盾が凝縮されてゐたのであつたが、秀吉は之に気付かぬ。秀吉はその死に至るまで朝鮮遠征の矛盾悲劇に就てその真相の片鱗すら知らなかつたのであるから、この囲碁事件を単なる頑固者と才子との性格的な摩擦だぐらゐに、軽く考へてしかゐなかつた。

 元来、如水が唐入(当時朝鮮遠征をかう言つた。大明進攻の意である)に受けた役目は軍監で、つまり参謀であるが、軍監は如水壮年時代から一枚看板、けれども煙たがられて隠居する、ちやうど之と入換りに秀吉帷幕の実権を握り、東奔西走、日本全土を睥睨《へいげい》して独特の奇才を現はしはじめてきたのが、石田三成であつた。
 如水はことさらに隠居したが、なほ満々たる色気は隠すべくもなく、三成づれに何ができるか、事務上の小才があつて多少|儕輩《せいはい》にぬきんでゝゐるといふだけのこと。最後は俺の智恵をかりにくるばかりさ、と納まつてゐたが、世の中はさういふものではない。昨日までの青二才が穴を填《う》め立派にやつて行くものだ。さうして、昨日の老練家は今日の日は門外漢となり、昨日の青二才が今日の老練家に変つてゐるのに気がつかない。
 如水は唐入の軍監となり、久方振りの表役、秀吉の名代、総参謀長のつもりで、軍略はみんな俺に相談しろ、俺の智嚢《ちのう》のある限り、大明の首都まで坦々たる無人の大道にすぎぬと気負ひ立つてゐた。
 けれども、総大将格の浮田秀家を始め、加藤も小西も、如水の軍略、否、存在すらも問題にせぬ。各々功を争ひ腕力にまか
前へ 次へ
全58ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング