を持す芸術家と異るところはなかつたが、三成は己れを屈して衆に媚びる必要もあつたので、彼は家康の通俗の型に敗北を感じてゐた。その通俗の魂を軽蔑し、それをとりまく凡くら諸侯の軽薄な人気をあはれんだが、通俗のもつ現世的な生活力の逞しさに圧迫され、孤高だの純粋だの才能などの現世的な無力さに自ら絶望を深めずにゐられなかつた。
三成には皆目自らの辿る行先が分らなかつた。彼はたゞ行ふことによつて発見し、体当りによつて新たな通路がひらかれてゐた。それは自ら純粋な、そして至高の芸術家の道であつたが、彼はその道を余儀なくせられ、そして目算の立ち得ぬ苦悩があつた。家康には目算があつた。その小説の最後の行に至るまで構想がねられ、修正を加へたり、数行を加へてみたり減らしてみたり愉しんで書きつゞければよかつたのだ。家康は通俗小説にイノチを賭けてゐたのである。三成の苦心孤高の芸術性は家康のその太々しい通俗性に敗北を感じつゞけてゐたのだ。
直江山城は無邪気で、そして痛快だつた。彼は楽天的なエゴイストで、時代や流行から超然とした耽溺派であつた。この男は時代や流行に投じる媚がなかつたが、時代の流れから投影される理想もなかつた。彼は通俗の型を決定的に軽蔑し、通俗を怖れる理由を持たない代りに、ひとりよがりで、三成すらも自分の趣味の道具のひとつに考へてゐるばかりであつた。家康も直江山城を怖れなかつた。怖れる理由を知らなかつた。山城は家康を嫌つてゐたが、それはちよつと嫌ひなだけで、実は好きなのかも知れなかつた。反撥とは往々さういふもので、そして家康は山城に横ッ面をひつぱたかれて腹を立てたが、憎む気持もなかつたのである。
二
如水雌伏二十数年、乗りだす時がきた。如水自らかく観じ、青春の如く亢奮すらもしたのであつたが、時代は彼を残してとつくに通りすぎてゐることを悟らないのだ。
家康も三成も山城も彼等の真実の魂は孤立し、死の崖に立ち、そして彼等は各々の流義で大きなロマンの波の上を流れてゐたが、その心の崖、それは最悪絶対の孤独をみつめ命を賭けた断崖であつた。この涯は何物をも頼らず何物とも妥協しない詩人の魂であり、陋巷に窮死するまでひとり我唄を唄ふあの純粋な魂であつた。
如水には心の崖がすでになかつた。彼も昔は詩人であつた。年歯二十余、義理と野心を一身に負ひ死を賭けて単身小寺の城中に乗りこん
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