顔も立つやうにはからふから私にまかせなさい、と引きとらせた。そこで三成には公職引退を約束させ佐和山へ引退させる。尚その道で荒くれ共が現れてはと堀尾吉晴、結城秀康の両名に軍兵つけて守らせる。三成をこゝで殺しては身も蓋もない。たゞ一粒の三成を殺すだけ。生かしておけば多くの実を結び、天下二分の争ひとなり、厭でも天下がふところにころがりこもうといふ算段だ。家康は一晩じつくり考へた。同じ思ひの本多正信が一粒の三成もし死なずばといふ金言を家康に内申しようと思ひたち、夜更けに参上してみると、家康は風気味で寝所にこもつてをり、小姓が薬を煎じてゐる。襖の外から、殿はまだお目覚めでござるか。何事ぢや。石田治部のこといかゞ思召《おぼしめ》すか。さればさ、俺も今それを考へてゐるところぢや。左様ですか、御思案とならば、私めから申上げることもござりますまい、と正信は呑込みよろしく退出したといふのだが、もとより例の「話」にすぎない。家康は自信があつた。僥倖にたよる必要がなかつたのである。
 三成は裸一貫ともかく命を拾つて佐和山へ引退したが、彼は始めて独自の自我をとりもどしてゐた。彼は敵を怖れる必要がなくなり、そして、彼も亦己れのイノチを賭けてゐた。
 直江山城といふ楽天的な戦争マニヤが時節到来を嗅ぎ当てたのはこの時であつた。彼は三成に密使を送り、東西呼応して挙兵の手筈をさゝやく。誰はゞからず会津周辺に土木を起し、旧領越後の浪人どもをたきつけて一揆を起させ戦争火つけにとりかゝつたが、家康きたれと勇みたつて喜んでゐる。
 けれども三成は直江山城の如く楽天的ではあり得なかつた。彼は死んではならなかつた。是が非でも勝たねばならぬ。彼は味方が必要だつた。利家に代るロボットの総大将に毛利を口説き、吉川、小早川、宇喜多、大谷、島津、ゆかりあつての口説であるがその向背は最後の時まで分りかねる曲芸。その条件は家康とても同じこと、のるかそるか、千番に一番のかねあひ。三成は常に家康の大きな性格を感じてゐた。その性格は戦争といふ曲芸師の第一等の条件であつた。自ら人望が集るといふ通俗的な型で、自ら利用せられることによつて利用してゐる長者の風格であつた。三成はそれに対比する自分自身の影に、孤独、自我、そして自立を読みだしてゐる、孤独と自我と自立には常に純粋といふオマジナヒのやうな矜恃《きょうじ》がつきまとふこと、陋巷に孤高
前へ 次へ
全58ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング