ィ金は私が持つてゐるから、と言ふ。暮れがたであつた。私は仕事があつて今夜は酒がのめないからと嘘をつき、ともかく、そのへんまで送らうと一緒に歩くと、女は憑かれたやうにとりとめもなく口走り、せつなげな笑ひが仮面のやうにその顔にはりついてゐる。そのうちに、ふと、知つてるわ、矢田さんに惚れたんでせう、と言つた。恨む声ではなかつた。せつなげな笑ひが、まだ、はりついてゐた。気象の激しい娘であつた。モナミだか千疋屋だかで、テーブルの上のガラスの瓶をこはしたことがある。ボーイがきて、六円いたゞきます、と言ふ。娘は十二円ボーイに渡して、隣のテーブルの花瓶をとると、エイと土間に叩きつけて、ミヂンにわつて、サヨナラと出てきた。さういふ気象を知つてゐる私であるから、私に対する娘のあまりのか弱さに、私は暗然たる思ひもあつた。
「片思ひなの?」
娘は私の顔をのぞいた。それは、優しい心によつて語られた、愛情にみちた言葉であつた。恨む心はミヂンもなく、いたはる心だけなのだ。私は答へる言葉もなく、答へたい心もなかつた。
このへんで別れようと私が言ふと、ウン、娘はうなづいて、私の手を握り、まだつゞいてゐるあの切なげな
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