ス。私は東京へ帰つてきた。加藤英倫も東京へ来た。たぶん彼の夏休みではなかつたのか。私には、もはや時日も季節も分らない。とにかく、私と英倫とほかに誰かとウヰンザアで飲んでゐた。そのとき、矢田津世子が男の人と連れだつて、ウヰンザアへやつてきた。英倫が紹介した。それから二三日後、英倫と矢田津世子が連れだつて私の家へ遊びにきた。それが私達の知り合つた始まりであつた。

          ★

 さて、私は愈々語らなければならなくなつてきた。私は何を語り、何を隠すべきであらうか。私は、なぜ、語らなければならないのか。
 私は戦争中に自伝めく回想を年代記的に書きだした。戦争中は「二十一」といふのを一つ書いたゞけで、発表する雑誌もなくなつてしまつたのだが、私がこの年代記を書きだした眼目は二十七、それから三十であつた。つまり、矢田津世子に就てゞあつた。
 私は果して、それが書きうるかどうか、その時から少からず疑つてゐた。たゞ、私は、矢田津世子に就て書くことによつて、何物かゞ書かれ、何物かゞ明らかにされる。私はそれを信じることができたから、私はいつか、書きうるやうにならなければいけないのだと考へてゐた
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