、分裂する意識の処理ほど苦しいものはなく、要するに、孤独が何より、いけない。孤独は妄念の温床だ。誰でもいい、誰かと喋っていればいくらか救われる。そこで僕は二人の友を毎日訪ねた。一人は辰夫と云って、之は当時発狂して巣鴨養保院の公費患者であり、も一人は修三と云って(菱山ではない)之は当時岸田国士、岩田豊雄氏らが組織しかけていた劇団の研究生、共に中学時代の同級生であった。
 修三は彫刻家の弟と二人で婆やを使って一軒家をもっていたが、兄弟二人は花やかな生活に酔っ払い深夜でなければ帰らないし、二三日泊ってくることはザラにある。けれども僕は孤独になっては地獄だから、そこで婆さんと話しこむ。この婆さんの娘はさる高名な占師(これが兄弟の叔父さんだ)の妾であったが、若死して、婆さんは三十円の捨扶持で占師に余世の保証を受けていた。徳川家康の顔を女に仕立てたようなふとった婆さんは、死んだ娘のこと及びそれにからまる占師のこと以外に喋らず、しかも僕が一言半句口をさしはさむ余地もない大変なお喋りだ。僕の毎晩の訪れに大喜び、娘の生い立から死に至るまで同じことを繰返しきかされたけれども、ひとつも耳に残っておらぬ。こう
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